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2011年8月5日金曜日

<一日一書>(56)「軍神 山本五十六元帥」



『今日は金曜日。
天気は曇りのち雨。』


さて、今日の話を始めよう。

大型の台風が沖縄方面に近付いているという。その影響で今日は朝から曇っているので、陽射しが強すぎず、散歩には都合がよい。
遙か沖合の和歌浦湾内には、避難のため、大型の貨物船が数多く停泊している。

本書のシリアルNo.を入れてみて、直ぐに気付いた。多分、私の年代前後の人々なら同感して貰えるだろうが、56という漢字表記をした途端に山本五十六(やまもと・いそろく)元帥を想起した。ハワイ真珠湾攻撃を成功させ、最後は前線視察中、ソロモン諸島ブーゲンビル島上空で、情報を傍受されて、米軍機に撃墜され、戦死した日本海軍提督だ。

当時、私は国民学校(今の小学校)四年生、大東亜戦争(太平洋戦争)開始から一年半くらい経過したころで、戦争推移の実態は、国民が大本営発表により聞かされていた内容とは異なり、ハーバード大にも留学した山本五十六が予言したとおり、ネガティブに転じ始めて居た。
連合艦隊司令長官山本五十六大将の戦死は日本国民に大きな衝撃を与え、その後の、坂道を転がり落ちる日本を、将に象徴する事態であった。

昭和十八年六月五日の日比谷公園での国葬に合わせ、私が通っていた東京市豊島区立長崎第二国民学校でも、山本五十六元帥の追悼式が執り行われ、選ばれて、私が書いた追悼作文を全校生徒数百名の前で朗読した。何を書いたか、定かではない。が、当然、国や学校関係者が求めるような内容、『軍神となって国を護る山本五十六元帥の後に続き、一億一丸となり、我々少国民も共に大東亜共栄圏の繁栄のため、鬼畜米英と決死の覚悟で戦いましょう!』

多分、そんな内容だったに違いない。それ以外のことを書いても発表の機会などある筈がない、訳だから。

そう言った時代を識らずに育った方々が大勢を占めるようになった現在、上記のような話を聞いて、どう思われるのだろう?

歴史に"If"は禁物だと言われるが、あの時、もっとこうして置けば、戦争にも勝てたかも知れないだの、また、今頃になっても、作る能力も経済力もあるのだから、核兵器を持てばよい等々の寝言を未だに口にするピント外れ、時代遅れの日本人が存在するということが、私には到底理解出来ない。

戦争は、力が強いだけで無知な国の、単なる人殺しである。殺されるのは、いつでも善良で、罪のない庶民たち、最も被害を受けるのは、何時の世でも幼く、無力な子供たち、女、老人たちである。尤も、その前に青年たちも無残に抹殺され、やがて壮年の男たちもそれに続くことになるわけだが…。

武器を持って戦線で体験したことはないが、いわゆる銃後で、平時なら受けるいわれのない犠牲を強いられたという意味では、戦争を体験した一人として言わせて貰おう。

「戦争で得るものなど何も無い。戦争は人間を抹殺するだけだ!」

「誰が何と言おうが、如何なる戦争にも絶対反対だ!どんな戦争であっても、結果的に人殺しをすることは間違いない」

「だから、あなたが本当に、人間として生きようとするなら、(他人を殺さず、他人からも殺されないように)あらゆる戦争を、この世界から排除すべきだ!それしか道は無い」


 そして明日は広島「原爆の日」だ。

核兵器は言うまでもないが、たとえ原子力発電であっても、人智で制御不能な自然の摂理に、ヒトは手を染めてはならない。謙虚であるべきだ、ヒトも単に自然の一部に過ぎないのだから。

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