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2012年1月31日火曜日

「打出の小槌と放射能ちり」の童話

 東大工学部を卒業して東京電力福島第二原子力発電所に勤務し、事故前に退社した後、熊本医大を出たOnodekitaこと、医師小野俊一氏の講演動画「フクシマの真実と内部被曝 2012年1月26日 於やましろ病院」(http://www.dailymotion.com/video/xo1plg_yyyyyyyyyyyy-yyyyyyyyyy-yyyyyyy_tech )を観て、信じたくはないのですが、ショックを受けました。

今朝、自分の「しゃらくさい人生覚え帳」を開きましたが、最初何も書く気がしませんでした。PCを終了させようとした時、浮かんで来たので、久し振りに詩を書きました。それが、これです。



「打出の小槌と放射能ちり」の童話
                 城 久道

しんしんと降り積もる
音もなく 人知れず
明るい陽射しの中を
密やかな月光の下に
しんしんと降り積もる
放射能ちり

自然が生み出した物ではない
金(かね)に目が眩み
人が造り出した
打出の小槌
振れば振るほど 降って来る
黄金(こがね)の雨

それを使えば楽になる
人々は重労働から解放され
腹一杯食べて 着飾って
放射能ちりの積もった 街へ出る
公園では 小鳥さえずり
幼子は走り回る

声も出さず 姿も見えぬ
怪獣が襲いかかろうとしている
人々は気付いていない
いや 気付かぬ振りかも
便利さは捨て難い
小金でも欲しい

そういう人達が居るから
打出の小槌メーカーは安泰
貧乏な村には 札束を叩きつけろ
学者の功名心を 金で擽(くすぐ)れ
政治家は 堂々と金で買える
うるさい奴らは マスコミで潰せ

いつの間にか 降り積もる放射能ちり
人間の寿命を遙かに超えて
分裂し 放射線を出し続け
生き物を 化け物としようが
打出の小槌を放さない俺
には無関係

ヒトの寿命は百歳くらい
後はどうなと きゃあなろたい

しんしんと降り積もる
音もなく 人知れず
明るい陽射しの中を
密やかな月光の下に
しんしんと降り積もる
放射能ちり

2012年1月6日金曜日

「詩をきっかけとして考える会」1月例会案内


 "Change"のスローガンを掲げて登場した政治家オバマの変革も思い通りに進まないのに対し、暦は着実に新しい年に変わった。皆様はどんなお正月を迎えられたでしょうか。

政治が変わらないのは、特に日本の場合、専ら能力や品性の乏しい人たちに政治を委ねていることも大きな原因だと、かねがね発言して来たが、今やそれのみならず、「代議制」の仕組み自体、世界中で機能しなくなって来たという現実が益々明らかになっている、とも言えよう。
昨年中に本会でも取り上げ、発言して来た「主役は我々市民自身、怒り、行動し、自らで決める」という方向をイタリアの政治哲学者アントニオ・ネグリ氏も展開している。
してみれば、我々の細やかな会の動向も世界の動きから然程逸脱していなかった、ということになる。

今年も新しい世界の動向を見極めつつ、我々の身近な問題から人類の未来を見据えて行きたい。その為に、会として一段と鮮明にしておきたいのは、取り上げるテーマはたとえ、何であれ、それらは全て現在と未来に焦点を絞った問題としたい。
過去の歴史を含め、過去の事項を取り上げる際は、現在と未来の問題に関し検証を要する場合のみにしよう、と考えている。言い換えれば、単なるノスタルジーや、老人の繰り言の類は徹底的に排除するという意味である。

より具体的な例を挙げれば、過去の成長モデルに囚われたまま経済を論じたり、冷戦対立構造中でのみ機能していた“核抑止力”問題をその枠から抜け出さずに論じたりする退嬰的後ろ向き姿勢を回避する事を指す。今や、大量生産、大量消費の考え方や、冷戦対立構造が崩れ、不安定国家群が核兵器を保有し、不穏分子がそれらを狙っている世界情勢中での、“核抑止”の考え方は、笑止な、全くの時代遅れ思考である。

言うまでもなく、経済も、政治も、軍事も、科学も常に流動している。旧来のパターン中で思考していては、未来の方向を敏感に捉えることは到底無理である。

過去のみに限った検証は学者たちに任せればよい。それはそれで何らかの意味は当然在るであろう。しかし、刻一刻現在を生きている我々市民に残された時間には限りがある。この会を曲がりなりにも進めて来た私自身が既に日本人男性の平均寿命に達せんとしている。個人の寿命を離れて考えてみても、今のような生活態度を人類が早急に改めない限り、その滅亡はそう遠くない、と確信する。

原子力利用に伴う弊害や、他の態様でのエネルギー利用に伴う環境汚染、自然破壊の問題は致命的なレベルに急接近している。

今求められているのは、エネルギー問題に託して言えば、「エネルギーの増産を企図するのではなく、如何にして消費せず、節約するか?を考えるべきである」すなわち、人類の発想転換、生活の仕方の転換が求められているのである。勿論、より具体的な態様として、政治、経済、科学、倫理の立場から問題の解決が図らねばならない。経済成長神話や技術革新一辺倒による利便性追求の、誤った固定観念を破棄することこそ人類が滅亡しないための唯一の方策であろう。

「詩をきっかけとして考える会」の新しい年における例会では、この意味で”柔らか頭の柔軟思考”を基本的スタンスとして、堅持して行こう。

さて、1月例会案内の前に、12月例会を簡単にレポートしておこう。

12月24日(火)昼頃から常時メンバーSさん宅を会場として、準備をして頂いた寒ブリを刺身や鍋でたらふく頂きながら忘年会を兼ねて進めた。出席者はK、H、S、T各氏とJの5名。

資料として、市立図書館郷土資料コーナーにて、Jがコピーして来た<大辺路「日置川・すさみの民話」>という記録から『藤本家の源平時代の出来事』が提供された。内容は、すさみ町江住の素封家藤本家が裕福となった由来を紹介するものであるが、源平時代に薩摩島津家の丸十家紋が出て来るなど些か怪しいところもある。因みに藤本は、常時メンバーN氏とJの曾祖父の家である。もう一つの資料は、より信憑性の高い、中央公論社の「日本の歴史6」<武士の登場>のコピーであって、城家の出自を示す平 永基(たいらのながもと)の孫である越後の城 助職(じょうのすけもと)の記録が残されている。

余興としては、永六輔、中村八大および坂本九の六八九トリオではないが、昭和六、七、八年生まれトリオ(K、HおよびJ)の顔ぶれに相応しく、Jが新宿西口の飲み屋で昔、入手した軍歌集所載の曲の幾つかをアカペラで披露した。敢えて注釈して置くが、このトリオが軍歌を愛し、ノスタルジーを求めているわけではない。当時の娯楽としての歌曲も、こんなもの以外には存在しなかったことを戦後生まれの団塊の世代に伝えて置きたかっただけである。更に、敗戦直後のラジオ全盛時代にスピーカーから常に流れ、子供時代に慣れ親しんだ唄も併せて披露された。

ここで2011年例会の総括として、参加者から寄せられた反響の内、注目すべき三つの例を紹介しておきたい。一つ目は、普通の主婦と自称される団塊世代のメンバーの「楽しい」という感想である。一般に主婦から寄せられる会の反応は「難しい」「よく分からない」が殆どであるが、会の進行役を努める私(J)としては、自分を含めて先ず楽しめることを念頭に置いている。皆わざわざ時間を割き、参加しているわけであるから面白くなければやりたくないし、自分の勉強にもならなければ、矢張り意味が無いので、この感想は将に「我が意を得たり」の感がある。

二つ目は二十代女性大学院生の反応で、「会メンバーの話を聞けることが嬉しい」、また11月例会における李梅渓の友ヶ島巌額に纏わる逸話を、近くに住んでいながら知らなかったことは恥ずかしいが、新たな発見が出来て良かった、というものである。これに対する私(J)のコメントは次の通りである。「識ろうとしないことは恥だが、”知らないこと”は恥でも何でもなく、この歳になった私ですら新たな発見のあることが楽しくて仕方がない」。

三つ目は、北海道札幌からの反響で、彼は私(J)の中学、高校時代の同級生であって、例会に出席したことはないが、私が送信し続けている例会レポートを読んで「良い仲間がいていいですね」と便りを呉れた。そう、将に良い仲間が集まらなければ、会は成り立たない、一人ではどう仕様もない。これまで、私のレポートを冗長と感じる方も居られたであろう。しかし、私は遠く離れた人々にも自分たちの活動や考え方を知って貰いたいと、書ける範囲で丁寧に書くことを心懸けている。

さて、1月例会の日時、会場は下掲の通りであるが、今回は新年会を兼ね、一緒に12時30分より昼食(割り勘実費+人数割り部屋代負担)を摂りながら進めたい。例会内容のメインは恒例に従い「自己表現」とする。楽器持ち込みOK、演奏、歌唱、踊り、詩の朗読、トーク、手品などジャンルは問わない。また上記した会の基本的方向に沿って、取り上げたいテーマを提案して頂くことも大歓迎(文責: H.J.)。


      場所: JR海南駅前「ヴァンサンカン」2階中個室
         日時:1月24日(火)午後12時30分より

          連絡先: 「ヴァンサンカン」TEL: 073-482-1899