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2010年11月2日火曜日

貴所感に対する私見-3

 我々が月一回開いている「詩をきっかけとして考える会」のメンバーに米寿を迎えられた和歌山の先達詩人山田 博氏が参加されています。この方は徴兵でマレー半島へ派遣され、敗戦により捕虜としての体験もされ、同郷の友の遺骨を抱いて復員されました。この方が、先日の10月例会で、詩人大木惇夫の詩集から”南支那海の船上にて”とサブタイトルされた「戦友別盃の歌」を紹介されました。それによって、「大義」について、私の視点から欠落していたものに気付かされました。それは「ロマン」です。このような言い方は戦後生まれの方には奇異に感じるかも知れませんが、私には完全に腑に落ちる話でした。

 当時の青少年達が、純粋に憂国の情を持って完爾として死地に赴いたのは、当時の、その生き方にロマンがあったからなのです。必ずしも強制されたものばかりではなく、純粋に捉えた、その主義主張に自らの生きる意味を見出だしたからなのでしょう。杉本中佐の「大義」を敷衍した思想は、天皇を中心とする日本が、欧米列強の植民地として呻吟していたアジア諸国を解放し、その利権を一方的に収奪するのではなく、「五族協和」の精神を持ってアジア人達だけで共存共栄する世界を構築すべく、リーダーとしての役割を日本が果たすべきだ、という信念を持ち、その理念を実現するため、使命感に燃えて、自らの身を進んで捧げよう、と行動した一面があります。

 無論、その理念の実体は建前とは全く異なるものでしたし、軍部や権力者がやったことは、拙劣な欧米植民地主義を拙速に実行しただけで、ご承知のような惨憺たる結果を自国民にも周辺各国にも齎しただけで終わりましたが...。ただ、そのことによって当時の青少年達の純粋な行動、信念やロマンが些かも損なわれることはない、と私は信じます。

 一番重要なことは、付和雷同して危険な方向へと一気に傾斜しがちな大衆(現在の日本人も)の特性を冷静に捉え、取り返しのつかない状況を事前に回避するための不断の努力が必要だ、ということです。現実には大変難しいことですが...。私は今の、日本の現状にも非常な危惧を頂いて居ります。「歴史は繰り返す」と言いますが、悲惨な戦争を回避することに徹し、再びあの愚かで、惨めな戦争だけは絶対に繰り返してはならない、と確信し、心からそれが実現することを願っています。その意味で「憲法九条」は世界に誇るべき規範であることは間違いありません。

 大変、長くなりました。この辺で失礼します。もし、インターネットを利用されているようでしたら、メールアドレスなどお知らせ頂けば、私の細やかな活動などご案内したい、と思います。意義のある所感を読ませて頂き有難うございました。