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2011年1月19日水曜日

「詩をきっかけとして考える会」1月例会

 「詩をきっかけとして考える会」お知らせ第110118号

12月例会、出席者は
8名であった。


忘年会を兼ねた例会では、iPadが2台揃い、Yasさんが、広く大阪方面での活動や和歌山のFM深夜放送での取り組みをプレゼンされた。

長老Yamさんは、懐かしのメロディを元気に声を張り上げ、アカペラで朗唱された。

Nakaさんは、ポツダム宣言受諾後、理不尽に旧満州に攻め入ってきたソ連軍と日本の製鉄所関係者との取引の実体、八路軍の様子、その前後の在留邦人の緊迫した状況を実体験を交えて生々しく語られた。

Kさんは、現在進行している地元自治会での問題や対応状況を話された。

Sさんからは加太で採れたハマチ造りの差し入れがあった。また、串本大島でのマグロ養殖見聞の話があったが、その中で、養殖業者が漁業組合に参加できないことによる問題点、というのが気になった。

Nakoさんからは第20詩集「静かな背ビレ」刊行を含む、自身の広範な活動についてトークがあった。

Tさんは小型ハープを持参、即興で各発表者のBG音楽を演奏すると共に、昭和の、主として前半くらいの歌曲集からサトウ・ハチロー作詞による、一時期うたごえ喫茶でよく唱われた「もずが枯れ木で」という反戦歌を演奏、(知っている人は)全員で合唱した。

Aさんからは、手作りの冊子が提供された。「一若者からの応答」とタイトルされた「詩をきっかけとして考える会」に対するレスポンスであり、その中には金時鐘氏の詩「冬の塒」、雨宮処凜、大澤信亮両氏によるそれぞれのエッセイ「生きづらさとプレカリアート」および『反貧困 脱「敵叩き」を』が記録されている。世話人代表の立場からすれば、20世紀末期に生まれた世代からのレスポンスが、このような形で20世紀初期生まれの世代に届けられたことは、大変嬉しく、また勇気づけられる、と率直に述べて置こう。また、問題意識に共通点のあることも悲観的になりがちな未来に、希望の灯火が垣間見えることを実感させてくれた。

Jからは予告通り、iPadを使用しYouTubeを介して入手した若松孝二監督の映画「キャタピラー」<戦争で四肢を失った生き軍神の夫と、その妻との愛憎を巡る生き様と、それを取り巻く当時の人びとを活写した>(予告編)ならびにその主題歌「死んだ女の子」(元ちとせと坂本龍一のコラボレーション)が紹介され、この日英両歌詞をJが紹介、朗読した。また、産経ニュースによる「日本は核武装すべきか」という設問に対し、85%がYESと答えた、という結果に愕然としたJが、ナジム・ヒクメット作の「死んだ女の子」のスタイルをまねた自作詩「あたしは いいの」を朗読した。

1月例会では、今後やゝスタイルを変更しても、特に若い人びとの意見を積極的に吸収しうる具体的な会の運営を考えてみたい。

また、1月15日に和歌山弁護士会反貧困シンポジウム実行委員会によって開催され、日本弁護士連合会会長 宇都宮健兒氏を迎え「貧困の解消を目指して」と題されたシンポジウムの様子をJより報告する。一口に「貧困」と言っても、その意義も多岐に亘り、態様も多様である。水面下も含め、日本のみならず、世界中でも今後の命運を左右するほどの大きな社会問題となっていることを真剣に考えてみたい。

 Twitterで識り、ベンジャミン・R・バーバー著『<私たち>の場所』副題「消費社会から市民社会をとりもどす」を最近入手した。書籍の帯によれば、国家と自由市場のはざまで、真の<市民社会の場>を創出するには?労働やボランティアのあり方とは?とあり、著者は「市民」を互いに孤立した「消費者」にしてしまう社会に警鐘を鳴らし、失業者、非正規雇用者たちに、真の市民社会実現への鍵があると論じる。、とあるのは誠に興味深く、色々勉強してみたい(文責:H.J.)。

1月例会日時は下記の通り。

場所: JR海南駅前「ヴァンサンカン」2階個室
日時: 1月24日(月)午後1時30分より

「ヴァンサンカン」TEL: 073-482-1899

    

2011年1月1日土曜日

元旦

   
                                   
 朝の散策コース、名草山の投影された、和歌の浦干潟を望みつゝ一句。


               
  "雲を貫(ぬ)き 初陽(はつひ)挿し入る 内のうみ"
                                                            
                             鷦鷯
                       2011年1月1日