My Ads

2009年4月19日日曜日

幻だった「約束の大地」


昨日は「詩をきっかけとして考える会」を、隣接する市の、JR駅前「ヴァンサンカン」で実施した。

月例会であるが、もう優に丸一年を経過している。

今、取り上げているテーマは内橋克人氏が提示している「競争と共生」であり、4月例会では氏の著書中の『幻だった「約束の大地」』を中心に「現実」無縁の政治、庶民を裏切る政治的スローガン、日本人の「熱狂的等質化」等について、身近な具体例を挙げながら論議した。

「きっかけ」は、無限の拡がりを招来する。それが狙い、とも言える。詩はあらゆるところに埋蔵されている。それを見いだすのも、また見過ごすのも、その詩人の器量次第と言わざるを得ない。

一方で、詩はきっかけとして、活かされる得るもの、と考えられる。人間として、それなりに意義を保有しつつ生き抜いて行くためには意識して学び、磨き抜いた己の物差しをもって充分に思考を重ねゝばならぬだろう。

会はそんな思いから立ち上げられ、賛同者の協力で続けられ、回数を重ねている。

2009年4月16日木曜日

西行庵


願はくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃」


その願い通り、西行は文治六年(1190年)二月十六日に寂した、という。

櫻の花が大好きだったのだろう。

「仏には 櫻の花を たてまつれ わが後の世を 人とぶらはば」

このが終の栖というわけではなかったようだが、このように狭く、気密性の乏しい山深い一軒家(というより小舎)に一人暮らしていれば、冬は非常に厳しく、また寂しく、心細かったのではなかろうか。

それでも仏道にひたすら修行し、歌の世界に徹する喜びを感じて居たのだろうか?

不信心な無頼男には、到底伺い知れない異質な世界…?

それでも、櫻の季節には、薄桃色の花吹雪が、庵の前で乱舞する日もあったろう。

俳句を好む向きが圧倒的に多いようだが、私は和歌の人間臭さに、遥に惹かれている。

2009年4月13日月曜日

日本人の櫻


吉野山の櫻です。

これとは別に、11日付朝日新聞朝刊にヘリコプターから撮影した吉野山の俯瞰写真が掲載されていました。


「春 追い越し日和」とキャプションされ、『約3万本で知られる吉野山(奈良県吉野町)の桜も見頃を迎え=写真、本社ヘリから、山本裕之撮影=、大勢の花見客でにぎわった。町によると、標高が低い「下千本」と「中千本」が満開、「上千本」が7分咲き、頂上付近の「奥千本」は開花直前。』とあります。

上に載せた写真はそのヘリコプターの音を聞きながら地上で撮ったものです。
その日は、引き続く記事にも見られたように、大変な人出で、忘れかけていた東京の人混みを思い出しました。

東京は生まれ育った故郷ですから懐かしく、お気に入りの都会なのですが、この人混みだけは我慢出来ませんでした。

今はその悩みからは解放されていると言えます。

2009年4月10日金曜日

金色の海


昨夕の散歩では金色の海を撮ってみました。

黄金伝説― 古来より人間は黄金に憧れ、黄金を求め、挙げ句の果てに黄金を奪い合って争いを続けてきました。

今だって同じです。ブッシュ前大統領の理不尽なイラク侵攻、破壊作戦も石油権益の確保に重要な原因のあることは改めて指摘するまでもありません。

人類はちっとも進歩していないように思えます。

そして、かく申す筆者にも進歩がみられません。”黄金が欲しいから”です。
仕事をしないとお金がないし、仕事をしようにも景気が落ち込み、依頼が停止したままだからです。

かと言って、力のない者をねじ伏せて問答無用で毟り取ったり、暗闇で突然襲いかかって強奪するには、力もないし、そんな馬鹿げたことをする気にもなりません。

それより黄金の海の砂金を手にすくい取り、貨幣とは交換できぬ自然の黄金の輝きを堪能できる身の幸せを噛みしめて過ごすのが、身の丈にあった暮らし、というものかも知れませんね。

2009年4月6日月曜日

卵の黄身


卵の黄身ではありません。


デジタルカメラで撮ってみると、太陽はなかなか丸く写りません。眩しい光の帯になったり、眩しい光が不定形に写り込んだりすることが殆どです。


それが今日はこんな形で撮れました。


卵の黄身と言えば、最近は卵かけご飯を食べなくなりました。それは矢張り、鳥インフルエンザとかあるし、出所のはっきりしない卵しか手に入らないからです。

昔は自家で飼っている鶏とか、知り合いの所の鶏が産んだ卵が手に入ったので、醤油を垂らした生卵を温かいご飯に掛けて食べるのが、楽しみだったし、なかなか美味しいものでした。

その上、父は、今私が住んでいる地方の出身者でしたから、きれいな海から新鮮な魚が手に入りました。


マグロのぶつ切りをわさび醤油で処理したものを、割込んだ生卵の中に放り込み、これをアツアツのご飯にかけ、香りのよい海苔を振りかけたものは、こうして書いていても生唾が湧いて来ます。

特に、旬の鰹でこの料理を試みる際、生のニンニクの芽を刻んで入れ込む。これを親父は「カチご飯」と呼んでいました。その言葉の意味も、どんな漢字を当てるのかさへも、今となっては分からないのですが…。


ただ、味だけは絶品で決して忘れることは出来ません。

『ああ 本当の生卵の味が懐かしい!』



2009年4月5日日曜日

サルダーナ


昨日は東急イン「アゼリア」で親しい人の主催する「サルダーナ」の集いが開かれた。

『“サルダーナ(SARDANA)”の踊りは、輪をつくり、大人から子供までみんなで輪になって手をつなぎながら踊るものです。衣装はとくになく、普段着でみんな踊っています。その歴史は古く、起源は古代ギリシアにさかのぼるとも言われています。サルダーナは現在まで踊り伝えられてきた、カタルーニア人にとって大切な文化の一つなのです。』

グループ名の由来は、そこから来ており、楽器を中心とする普段着の発表会を食事をしながら楽しもうという趣向である。

あいにく開催時刻直後から降りだし、この会場の窓を通して望める、美しい城の天守閣を取り巻く満開に近い櫻花も雨に打たれ、どんよりした曇り空の下でくすんでいる。

それに引き替え、会場内は和やかな雰囲気の中で普段着の演奏が繰り広げられた。楽器はピアノ、琴、ハープ、フルート、そして歌唱、ピアノの弾き語りまである。

プロが駆使する高度なテクニックを緊張しながら楽しむのもよいが、こうした普段着の演奏会を大勢のアマチュアが繰り広げるというのも、その国の文化的レベルを高め、裾野を広げるために大いに役立つ筈だ。

2009年4月3日金曜日

穏やかな一日


これは昨日の夕陽の写真とほぼ同じ場所から撮影したものです。


一瞥すれば、暖かく平和な日に見える。


だが、世の中不況の風が吹き荒れているし、ガザ地区ではイスラエル入植者の子供が殺害された、という(一方で、その何倍ものパレスチナの子供達も傷つけられ、殺されているが…)。


主要国が参加した金融サミットも終わった、というがいつ?その効果や変化がもたらされるのか。


北朝鮮と日本の当局者たちはカリカリと応酬しあっているようにも見えるが、もしかするとこれも対象者を想定して、ジェスチャーによりアピールしているのかも…。


戦中、戦後を生き抜いてきた者からすると、世界も屈折して見えてくる。面白いといえば、こんなに興味深い時代も少ないかも知れない。

2009年4月2日木曜日

今日の足跡


自他共に認めざるを得ない老人です。そして朝に夕に海を望みながら散歩します。