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2011年6月19日日曜日

「さようなら原発1000万人アクション」


<一日一書>(七)

『今日は金曜日。
天気は梅雨の晴れ間だが、はっきりしない。』


さて、今日の話を始めよう。

2011年06月16日付け朝日新聞夕刊で、『東京電力福島第一原発の事故を受け、ルポライターの鎌田慧さんや音楽家の坂本龍一さんらが呼びかけ人となり、国に「脱原発」への政策転換を求める1千万人の署名運動が始まった。9月19日には東京・明治公園で5万人規模の「原発にさようなら集会」も開く。

呼びかけ人は、ほかに経済評論家の内橋克人さん、作家の大江健三郎さん、澤地久枝さん、瀬戸内寂聴さんら。原水爆禁止日本国民会議(原水禁)などでつくる実行委員会が支える。署名は、来年2月まで集め、衆参両院議長と首相に提出する計画という。』の記事を読み、早速、<さようなら原発1000万人アクション>
http://www.peace-forum.com/no_nukes/
のHP上からインターネット署名を済ませた。

その際に、次のようなコメントを付け加えて置いた。

「核分裂や核融合を利用してエネルギー(電力)を得ようとするのは、科学的見地からしても間違いです。「人間にコントロール可能」という見通しの全く無いまま、見切り発車で、原子力利用に踏み切るのは、人類に対する背信であり、自然に対する冒涜です。
原子力発電を進めようとする政治や企業の方針は市民(国民)を欺瞞し、人類の未来を破壊する暴挙に他なりません。」

また、東京の明治公園で、以下のような集いも計画されているようなので、出来ることなら筆者も参加したい。 

「原発にさようなら集会」を、つぎの要領で開催いたします。どうか皆さんでご参加ください。

日時……2011年9月19日 13:00~
場所……東京・明治公園
集会規模……5万人(集会後、パレードがあります)

集会呼びかけ人

内橋克人
落合恵子
鎌田 慧
坂本龍一
澤地久枝
瀬戸内寂聴
辻井 喬
鶴見俊輔

2011年6月16日木曜日

「詩をきっかけとして考える会」6月例会案内


5月例会出席者はK、S、TさんとJの4名。

Yさんよりお手紙を頂いた。それによれば、病院での精密検査の結果、大腸ポリープが発見され、内視鏡手術を受けたが、食養生を経て回復、元気になられたが、大事を取り静養のため、欠席とのこと。6月例会出席を切望すると追記されていた。

5月例会日程決定に際し、「可」というご返事であったが、今回は欠席と、Mさんよりメール連絡有り。

Nさんは体調は略回復されたようであるが、多忙のため、スケジュール調整がつかず、欠席の旨連絡あり。

例会では、伊勢市朝熊町で開催された「橋本平八(彫刻家)と北園克衛(モダニズム詩人)のシンポジウム報告。余談として、北園克衛氏のご親戚の方から直接声を掛けられ、克衛氏のご子息明夫氏と小生のプライベートな友人関係の話題を含め、親しく話を交わすことが出来たこと。

また、主催者の一人、伊勢市で古書店「ぽらん」を営む傍ら、北園克衛および竹内浩三の研究者でもある奥村薫氏と知り合い、北園克衛全集未収録の作品コピーを頂戴した。当方よりは「和歌山戦後詩史」を進呈し、再会を約した。

他のテーマとして、講演会「普天間基地と日米安全保障条約」(講師 伊波洋一氏)エッセンスの紹介およびNHKドキュメンタリー映像「日本列島-奇跡の大自然」第一集を視聴し、この国の自然が齎す特異かつ豊かな恵みや、地球上に占める位置、環境について語り合った。 

6月例会予定テーマ:

(1)中上健次原作の映画「軽蔑」について
(2)映像BS世界のドキュメンタリー「被爆の森は今」の視聴
(注)チェルノブイリ原発事故から25年経過した今、半径30キロ以内は未だに立ち入り禁止区域となっており、一般人の立ち入りは認められていない。しかし、例外として科学者には、絶好の放射能汚染実験場として利用されている。今、この区域内に存在する生物はどうなっているか?非常に興味深い記録であると共に、「放射能」というものが、一般人には殆ど正しく理解されていないように思えるのだが、この映像は、その理解のための「きっかけ」が示されているように感ずる。
(3)その他

例会場所、日時は下記の通り。

      場所: JR海南駅前「ヴァンサンカン」2階個室
      日時: 6月22日(水)午後1時30分より

               「ヴァンサンカン」TEL: 073-482-1899

<附記>PCメール利用の方々だけしか受信できないでしょうが、友人から入手した放射能に関するゼオライト・ラボ情報を添付します。

<更に余談>このお知らせが遅れた理由にも関係するのだが、電子書籍を作成し、有料販売することを計画、準備している。そのために書いた原稿<一日一書>中の本会に関連する一部を紹介して置きたい。(文責: H.J.)

『有志で月一度の割合で「詩をきっかけとして考える会」をやっている。会の命名どおり、たとえば、若くして戦場で消えた、伊勢の詩人竹内浩三を偲び、彼の詩をきっかけとして「戦争」について、考えるようなことであるが、参加者の意向で、テーマは限定することなく、拡がる。

今は、原発関連や自由貿易関連のTPP参加可否、また震災と日本列島についてなどが中心になっている。

いずれ、テーマとして、それだけに絞って、取り上げてみたい、と考えているのは、「創作」のために、それまでの古くさい「秩序」を壊そうとした、伊勢の産んだ詩人「北園克衛」と紀州の産んだ作家「中上健次」。
モダニズムの旗手として、海外での評価の方が高い、北園克衛。生れ故郷よりも外で、より高く評価され、理解されているように思われる中上健次。

予てより関心のある二人の墓参りは、既に済ませているが、お二人に、個人的により関係の深い方々とも知遇を得ているので、そのお話も是非聞いてみたい。会場は、いつもの和歌山県海南市駅前「ヴァンサンカン」でもよいし、場合により、和歌山市、紀南の田辺市、または中上の生地新宮市、あるいは、東京の新宿(中上)、赤坂、飯田橋、広尾、銀座(北園)それぞれ所縁(ゆかり)の地もまた、面白いかも知れない。

関心のある方は、筆者にプレッシャーを掛けられたし、生来の怠惰故。』

2011年6月14日火曜日

電子書籍出版予定



  前回、書いたように、技術翻訳の依頼が無いので、金を稼ぐため、売文業に専念することを決めた。こちらも注文があった、というわけではないが。

ところで、Web上にパブーの「ブクログ」 http://p.booklog.jp/ というのがある。ここで自分の原稿を電子書籍にして、有料販売することにした。既に一冊は「夢* 現(うつつ)物語(第1話-第10話)として完成間近である。販売開始の際は、改めてご案内するが、今からよろしくお願いして置く。

ここで購入した電子書籍は、自分のPCにダウンロードして自由に読めるし、iPad、iPhone、KidleやAndroid携帯で読むことが可能。

今の状況で自分に必要なのは、原稿を書くこと。それで、「夢* 現物語」を続けるのと並行して、毎日一つの文章を書くことを己に義務づけることにした。果たして、約束を守り続けることが出来るか、どうか定かではないが、兎に角やるしかないだろう。これも纏めて、いずれ電子書籍にして販売したい。

第一回目を、参考のため以下に披露しておこう。

『<一日一書>(一)「ヒトよ、驕るなかれ!」

「今日は土曜日です。
天気は雨です。梅雨真っ最中ですから当たり前ですよね。」

さて、今日から毎日、何か一つずつ書くことにしました。

書き方は色々です。ジャンルも、長さも、その他、何も特定しません。

何故、書くか?理由も種々あります。追々触れることになるでしょう。

今日の話を始めます。

二十一世紀になれば、何か素晴らしい世界がやって来るのではないか、と期待した、ミレニアムから十年経ってみて、良くなるどころか、益々悪くなっているように見えます。

戦争は途切れることなく、彼方此方で続いて居るし、国家という組織が、力を持ち過ぎた結果、益々愚かで、暴力的な振る舞いをするようになりました。国境とか、国際的ルールを全く無視し、他国に、ずかずか土足で踏み込み、都合の悪い人間を勝手に殺害し、『これは正義だ!』とキャンペーンすると、それに躍らされた人々が「殺人」について、歓呼の声を上げるのです。

それをTVというメディアで、映像として眺めながら、ビールを飲んだり、コーラーを飲んだりしながら『ああでもない、こうでもない』と話題にして、一日の憂さを晴らしたりします。

そんな状態ですから、当然、消耗材が必要以上に増え、電力を浪費し、天然資源がどんどん減少し、慌てゝ浅知恵の癖に「技術」という人間だけが手にしたツールを駆使して、未だ制御の見通しの立っていないエネルギーに手を出しました。

地球上で極東と呼ばれる地域にある、小さな、その癖、経済大国、技術先進国などと評されて、いい気になった島国が、原子力発電に手を出すに至りました。

科学的な見地から、識者に、その危険性が不明であったわけではなく、それに対する反対の正論も、当然ありました。

しかし、どういう訳か、比較的愚かな人々により、国が舵取りされていることゝ、それを利用して、うまい汁を吸おうとする輩(やから)の悪だくみを、市井の人々が見抜くことが出来ず、正論を述べる人々は「夢想家」として、排除されて来ました。

突然、大地震と大津波が押し寄せると、根拠の乏しかった『安全神話』は、完膚無きまでに叩き潰されました。犠牲となったのは、騙されていたり、半信半疑の侭、世の流れに翻弄されていた市井の人々です。それにしては、余りにも代償が大き過ぎたかも知れません。

しかし、「人間の浅知恵」、「人間の無力さ」、「人類の驕り」、「巨大な自然に対し、改めて感ずる畏怖や尊敬の念」等々、色んなことを反省させられる、良いきっかけ、となるかも知れません。

要は、これからです。それを教訓として生かせるか?単なる不幸、大惨事ということで終わらせてしまうか?

人類には「分(ぶん)を弁えた」生き方が必要です。人が住んでいる、この天体は、他の動物や、植物のものでもあるのです。

「ヒトよ、驕るなかれ!」』

ご感想、ご意見等あれば、是非お聞かせ願いたい。