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2011年8月11日木曜日

<一日一書>(62)「40度 乃至 数千度」



『今日は木曜日。
天気は晴れ、暑さ衰える気配見せず。』


さて、今日の話を始めよう。

日本各地で30度を超える暑さが話題となり、毎日何人かの人々が熱中症で死亡、と報道されている。家でもガラス戸は毎日開け放したまま、殆ど裸同然で就寝しているが、明け方の冷え込みさえ、ここ数日は感じたことがない。明け方から既にむっとした暑気に満たされている。

この時期の、この暑さを体験する度に私の記憶は敗色濃厚だった1945年の記憶と連動する。8月15日の敗戦の日も、疎開先の紀南の空は青く晴れ渡り、暑い一日であった。広島と長崎に新型爆弾が投下され、一般市民まで被害を受けたことは、制約された報道によって承知していたが、その実態については全く識らなかった。意識的に隠蔽されていたわけだから一般人は知りようもなかった。

それ故、今、TV報道で40度近い気温で大騒ぎしている人々をみていると、66年前、何の落ち度もないのに、無防備なまま、不意に数千度の熱で焼かれる破目となった日本人の、熱さや苦痛、恐怖は如何許りだったろうか?と想像すると、今でも、その非人道的な所行に対し怒りを抑えることが出来ない。

誰が如何なる理屈を付けようが、人間が他者に対して採ることを許容される手段でないことは、論を俟つまでもなく、明々白々の真実である。

原子爆弾の効果、人体に及ぼす悪影響についてのデータや情報をひたすら隠蔽してきた米国の指導者層や、そこから利益を得て来た軍部や産業界の身勝手さから、一般市民が正確な情報を入手できなかったことが最大の不幸であり、また問題である。

原子核分裂や核融合反応からのエネルギーを利用しようとする試み自体が、人間の制御可能範囲を超える所行である、という冷静かつ正確な判断と理解があれば、武器としての利用は無論であるが、たとえ平和利用と称するオブラートを被せようが、その利用は許されないことが、はっきりしている。

『被爆者を絶対に作らない』というシンプルで、嘘のない原点から、全ては出発すべきである。電力が不足しそうなら、余分な使用は停止する、必要なものは出来るだけ節約して、やりくりする。足りない分は工夫し、努力して別なソースを検討し、実践する。「費用がかさむの、かさまないのと議論する暇があるなら、先ずスタートして一からコストダウンの努力を徹底すべきだ」そもそも、この種の技は日本人の最も得意とするところではないか?先頭を走れば、この面で、世界のリーダーたり得る筈だ。

愚かで、想像力乏しく、現状を見通す眼力の無い人々(日本人ですら、この中に含まれるのは哀しい)が、未だに核兵器による「抑止力」などという鰯の頭ほどの迷妄から抜け出せないで居るのを視るのは、誠に情けない限りだ!これらの人々の脳みそがどのように構築されているのか?解剖学的に観察可能なら視てみたいものだ。

そもそも人類にとって危険で、実質的に使用できないものを保持して、どうしようというのだ?製造するにも無駄で高額な費用が掛かる上、安全(完全な安全はあり得ないこともはっきりしているが)に維持保管するために更に無用な費用を要し、その上、使用せずに老朽化しても、取出した核物質を安全に廃棄する方法や場所さえ、無いこともはっきりしている。

仮に、理性の欠如した国が核兵器を使用して他国を侵略した、としよう。戦勝したとしても、その国は、残留放射能に満ち溢れた敗戦国を駐留統治することは無論、放射能まみれの財物や生産物を収奪、利用することさえ出来ないのは、既に明白である。もし、近隣の国を侵略した場合は、自国に放射能が滞留する危険性も十分にあり得る。それに対し、良識を留める国々はこぞって当該国を非難するであろう。また、十分な効果について不確定要素が存在しようが、しまいが、一致して経済制裁が発動される可能性も高い筈だ。結果の明らかな、このような事態の何処に有用な効果やメリットがあるというのだ?

核抑止論者は、こんな単純なシナリオさえ、想像できないのだろうか?愚かにも越権行為で職を喪った自衛官や、ろくな対抗馬が居ない故で居座り続ける老耄知事の妄言に惑わされている日本人が未だに存在することは、筆者の理解を超える。

40度どころではない、数千度の人工の火に焼き殺された数十万の人々の死を犬死にとして放置したままにしようというのか!人間として許し難い無理解と無知という以外に言葉が見つからない。

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