My Ads

2011年8月19日金曜日

「詩をきっかけとして考える会」8月例会案内


 立秋も疾うに過ぎておりますが、未だに日本全国暑い日が続いて居ります。お健やかにお過ごしでしょうか?お伺い申し上げます。唯、最近明け方の気温には微妙な変化の兆しも現れているように感じます。

 ところで「詩をきっかけとして考える会」8月例会日程も下記ご案内の通り迫って参りましたので、急ぎ連絡申し上げます。

 七月例会の出席者はK、N、S、TさんおよびJの5名。

 ディスカッションの内容は、沖縄在住の作家大城立裕氏のインタビュー「いま沖縄から考える」7月7日朝日新聞朝刊オピニオン欄中の発言『日本では原発は過疎地に集中させられてきました。事故の危険性を押しつけられたうえ、そこで生み出された電力は地元ではなく、東京や大阪など大都市で使われる。これは、米軍基地が沖縄に集中させられているのと同じ構造です。沖縄に基地の負担を一方的に押しつけ、日米安保の

恩恵は本土が享受する。(後略)』であり、これを中心テーマとして行った。

 私見としては最後の部分の「日米安保に、今現在果たして、どれほどの恩恵があるのか、日本が負っている負担の大きさから考えて、可成り疑問ではあるが、今や現状は、冷静にその利害得失を検討し、次の行動に進むべき時期に入っているものと考えられる。その他の発言内容は私の考えていた問題点と一致している。すなわち、日米安保のもたらす沖縄問題は、今回の福島原発事故と明瞭に連繋している。

 私はかねがね「国家」とは何か?何のために存在するのか?また、我が国では「国家」が期待される機能を果たし得ているのか?と考え続けて来た。明確な答えは依然として得られていないが、8月15日の敗戦記念日の前後には、今でも見落とされたり、知らされていなかった記録や事実が報告される。それらを踏まえて考えた結果、私なりの独断であるが、日本が国家(組織)としてどうにかその役割を果たし得たのは、明治維新政府が欧米列強が支配する世界に踏み出し、その不平等を試行錯誤しながら修正し続けた日清、日露戦争頃までではなかったか?と考えている。私が物心つき始める頃の日支事変(日中戦争)以降現在に至るまで、日本の国家は真面な組織としての機能を果たし来なかった。それには色々な原因があっただろう。たとえば、組織に関わった人々の能力欠如、組織固有の欠陥、組織を悪用する輩を放置した等々によって、現在のような機能不全に陥った。

 では、我々はこの国に生活する市民として、どうすべきか?を八月例会のテーマとしたい。
 参考となりそうな記事が朝日新聞朝刊8月16日の見出し”生きるための「新政府」”中にある。『原発事故を契機にした迷走が収まらぬ中央政府に愛想を尽かし、九州「西南」で「新政府」を立ち上げたアーティストがいる。避難民を受け入れ、福島県の子供達にサマースクールを用意。半年以内には格安の“団地”も実現させると、意気軒高だ。』

 ここに至る前段として、菅直人首相に対する批判に対し、「異議あり」と8月12日朝日新聞朝刊オピニオン欄中で意見を述べている学者国分功一郎氏の発言をみることにしよう。「場当たり的、思いつきだけの菅さんが何か制度を提唱したという記憶がありません」という悪意に満ちた記者の質問に対し、国分氏は「そうでしょうか。就任当初『最小不幸社会』を実現すると言ってました。これは社会に付きまとう不幸、貧困や病苦などをうまくみんなで分け合う制度を整えようという考えです。辞任3条件の一つに掲げた再生エネルギー特別措置法案も、自然エネルギーの普及という目標を掲げた上で、実現を促す制度を導入しようという考えです」

 更に国分氏は「日本は民主主義の社会だということになっています。しかし実際には、たまに部分的に立法権に関わることができるだけ、つまり数年に一度、選挙への参加が許されているだけです。これのどこが民主主義なのか」、また「(前略)立法権ばかりが注目されたためにないがしろにされてきた領域がある。私たちが生活している中で最も身近な行政権力です。市が保育園を作る。県が道路を造る。私たちの生活に直結しています」「しかし行政権の執行に対し、私たちはまったく参加の機会がありません。何ら拘束力をもたないパブリックコメントをたまに出せる程度です。民主主義と言うなら、行政権に市民が公式に関われる制度をきちんとつくっていくべきでないでしょうか」
 
 「(前略)これからは再生可能エネルギーの普及が必要だと一人一人が思っていても、その気持ちを束ねて結果を出すには膨大な労力が必要です。しかし、そうした気持ちをうまく後押しする制度が作られれば、社会全体で結果を出していける」

 総選挙があったとしても、どの政党所属の議員にも投票するに足る人物は不在、という有権者が大半を占める現状は将に国家という組織の機能不全を有権者が明確に認め始めている証拠であろう。

 私は前述の、国レベルではない、生活に直結した行政への、実質的な市民参加こそ民主的に市民の声を反映させる有効な手段である、と考える。

 国家という、機能不全で、或る意味ではいかがわしい組織を温存し続けるならば、市民の生活に直結しない視点から、たとえば大局的見地と称し、一部に犠牲を押しつけたまま、利益に見えるサイドにだけ脚光を浴びせて、誤魔化し、密かに権力や利権の甘い汁を吸おうと群がる輩を排除することなど到底期待できない。

 中東や中国(やゝ違った形ではあるが)で、Twitter革命が進行している。日本ではTwitterにより、それらの国のように爆発的な変化が生ずる、という安易な見方は直ちには出来ないであろう。しかし、情報源を国内のテレビや新聞だけに求めるのではない、これまでと異なったうねりが密かに、しかし根強く胎動し始めて居るのを覚える。

 別な話題として、本例会にも時々顔を見せるY.A.さんが論潮通信第4号に寄稿された「潮風の記憶」を紹介したい、と考えコピーを持参する。印象深い内容で、「言葉」についての真剣な思いが綴られている。


例会場所、日時は下記の通り。

       場所: JR海南駅前「ヴァンサンカン」2階個室
        日時:8月23日(火)午後1時30分より

               「ヴァンサンカン」TEL: 073-482-1899

0 件のコメント:

コメントを投稿