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2011年8月29日月曜日

「詩をきっかけとして考える会」9月例会案内


8月例会出席者はK、M、TさんおよびJの4名。Yさんからは欠席理由のお手紙を頂いた。また、Sさんは急用。Nさんは、突発的な親戚のご不幸により欠席の旨、電話連絡があった。

例会内容は、次の通り。(1)今後の会の進め方について(後述)、(2)提示されたテーマおよびディスカッション。

(2)8月例会案内中に述べた「日本国家は15年(日中)戦争以来、機能不全に陥っており、それは福島原発事故が発生した現在まで続いて居る」という問題解決の一つのアイデアとして紹介した『”生きるための「新政府」を立ち上げたアーティストの、生活に密着した取り組み『原発事故を契機として迷走するばかりの中央政府を当てにせず「新政府」が避難民を受け入れ、福島県の子供達にサマースクールを用意。半年以内には格安の“団地”も実現させる』という事例および国家組織や、それを象徴する大本営の拙劣な対応の一例として『敗戦翌日に高知県香南市の海軍基地内にあった、ベニヤ板製の特攻艇「震洋」23隻が出所不明の出撃命令待機中に火災事故が発生、全艇が爆発炎上、111名の特攻隊員が犠牲になった』という事例について話し合った。

(1)本会の創立メンバーの一人であるH.Y.さんは、ご高齢のため暑さを避け、涼しくなる9月例会からの出席を切望されていたが、定期検査の結果、やゝ高いPSA値が出た由。医師の見解は年齢を考慮して、本人の自覚症状が出た段階で適切な対応処置を検討する、という結論であった。従来通りの行動に支障があるわけではないが、万一の突発的トラブルを恐れる、ご家族のたってのご意向で、外出は事実上不可能、悪しからず了承されたい、というご連絡を受けた。
本会の核心である「詩」について長年の経験と知識を有し、また参加メンバー中唯一の戦闘体験者として貴重な証言を身近に提供して頂ける方をメンバーから失うのは、大きな痛手である。誠に残念であるが、ご本人の健康やご家族のご意向となれば、如何ともし難く、そのご意志に従う他は無かろう。個人的には、お元気で居られる限り、色々とご教示頂く心算で、連絡を絶つことなく、御機嫌伺いし続ける方策も検討して行く。

以上のような状況から、会の存続、名称、今後の方向性も含め、会場(従来、海南駅前ヴァンサンカン)の場所も、Yさんの便宜を考慮して決められて来たところから、その変更についての必要性等々相談し、検討した。

元々本会設立の趣旨はその名称に示されるとおり、「詩」をコアに置き、そこから派生するあらゆる問題に目を向け、最終的に人間が求める理想的な「詩」に向かって進むことを目的としていた。ただ、此所で注意して欲しいのは「詩」を単なるポエムという限定された概念として捉えるのではなく、「詩」という一つの言葉で代表されるものより、更に広い概念、つまりアート(芸術)という意味で理解すべきことだ。
本会のあり方について考えるこの機会に、会の名称も、勘違いされないような名称に改めるのもベターなのかも知れない。参加メンバーからのご意見を頂きたいが、私案として取り敢えず提案したいのは「識り 考え 伝える会」である。

また、たとえ名称変更したとしても、会の性格および方向性はそのまま保ち続けたい。より具体的に述べると、8月例会において私が紹介した国際政治学者坂本義和氏の考え方である。朝日新聞オピニオン欄では、「知識人」についての定義であったが、私は「知識」についても、同じように考えて良いと考える。
すなわち、「知識」を成立させるためには「批判力と構想力の二つの軸を持て」と言うことである。つまり、一つは現状に対する批判力、もう一つは構想力。構想力とは、間違った現状を超える、まだ存在しない社会のあり方を積極的に想像する力と言うことになる。そして、従来は大学人が総合雑誌や新聞の論文から学んだ論理的説得力が重んじられたが、今や歌や映像や漫画など感覚で訴えるものの比重が大きくなった。かって、大学人が果たした役割を作家や芸術家が果たすことが多くなった。こうした広がり自体はむしろ歓迎すべき傾向だ。

「批判力」と「構想力」は市民レベルで議論しながら急速に積み上がっているのではないか、と坂本氏は考え、更に「市民の小さなグループがあちこちに出来て、地方にも広がり、それなりの成果を上げている。他方、国家を超えて、世界中の人達とインターネットを通じて直接意思を通じ合い、同じ人間として、どういう社会を作るのか議論をしている。新しいタイプの市民的な知識人が生まれている」と述べている。

本会の方向性は将に此所にある。「現状に対する批判力」は必要であり、重要であるが、これに偏ってはならない。むしろ、我々が目指すべきは構想力「間違った現状を超える、まだ存在しない社会のあり方を積極的に想像する力」にある。

幾つかの具体例を挙げれば、日本国憲法第九条は世界に誇るべき、素晴らしい構想力の産物であるし、あらゆる核エネルギーの利用(核兵器は言うまでもないし、平和利用と称する原発も当然)とは断乎訣別すべきだ、というのは構想力に基づく当然の帰結と言えよう。
単なる現状批判は政治家や官僚に任せて置けばよい。前述の「新政府」を樹立したアーティスト坂口君の表現を借りれば、「アートはぎりぎりの本気」だから、本会では単に過去や現状を論じ、批判することだけにウェイトを置くのではなく、未来の人類が目指すべき理念を構想力をもってぎりぎりのレベルまで思考することを、本来目的とすべきであると信ずるので、今後は更に、このレールから外れないように意識して会を進める方針を改めて、ここに確認して置きたい。

9月例会においては、次のような慄然とせざるを得ない日本の現状に目を向けたい。

(1) 【日本は終わった】 英インディペンデント紙(The Independent) http://www.independent.co.uk/news/world/asia/the-explosive-truth-behind-fukushimas-meltdown-2338819.html

8月17日の英インディペンデント紙は、福島原発事故を取り上げ「原発事故は日本政府が嘘をつく構造 」「近代日本の終焉」「チェルノブイリより遥かに酷い」と論評した。

(2)雑誌ニューヨーカー(The Newyorker) http://www.newyorker.com/reporting/2011/03/28/110328fa_fact_osnos によれば、我が国では日本政府(国会を含む)、官僚機構および経済的利益集団(たとえば、電力会社)のみならず、テレビ、新聞などの報道機関まで三位一体ならぬ四位一体化された「Nuclear Mafia=核マフィア」国家が構成され、それによって日本は運営されている、異常な国家というレッテルが貼られ、日本という国は先進国家から脱落する、と断じられている。

多くの日本国民は、このような外国メディアによる報道の存在すら気付いていないであろう。フリージャーナリスト上杉 隆氏に依れば、今や日本のジャーナリズムは、大手メディアのみで構成される記者クラブの護送船団方式に埋没し、ジャーナリズム本来の使命を果たそうというジャーナリストが存在しないばかりか、ジャーナリズムの王道を貫こうと孤軍奮闘するフリージャーナリストの足を引っ張り、その活動を妨害したりする、救い難い状況にあると言う。

約70年前に日本を荒廃に導いた大本営発表の嘘で固められた情報を利用して、日本国民300数十万人を殺し、日本の国土を破壊し尽くした愚かな国家指導者たち(=機能不全の国家)と共にジャーナリズムの使命を放棄した報道陣の、当時の姿を髣髴させるものである。

筆者は<一日一書>(七十二)「大日本帝国 大本営」中で、日本人は70年前の惨憺たる歴史から何も学んで来なかったことを指摘したが、上杉氏は今後の日本について、こう述べている。「この儘では、日本は終わりで、70年後に再び失われた歳月の大損失を思い知らされ、何も変革して来なかったことに思い至るであろう」と。

以上に関連する資料はYouTubeやUstreamの映像も含め豊富に存在するので、出来る範囲で紹介したい。

例会場所、日時は下記の通り。

       場所: JR海南駅前「ヴァンサンカン」2階個室
        日時:9月12日(月)午後1時30分より
TEL: 073-482-1899

更に友人よりの下掲資料を添付して置く。この他にも京都大学助教授小出裕章氏(参議院行政監視委員会) http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65737210.html や講演会 『原爆・原発と憲法9条』 DVD版 http://www.ustream.tv/recorded/16262497 のように良心ある学者は、勇気を持って発言して居る。我々は明晰にその情報を取捨し、考え、行動する必要があると信じる。
添付資料: 東京大学児玉龍彦教授、怒りの発言(厚生労働委員会での発言要旨) http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65754131.html

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