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2011年9月3日土曜日

<一日一書>(八十四)「100,000年後の安全」


『今日は金曜日。
天気は雨、台風12号の影響。』


さて、今日の話を始めよう。

台風接近で気圧が低下しているが、それだけで憂鬱な気分に落ち込んでいる訳ではない。東電原発事故関連の報道に関し、内外メディアの伝える情報内容の落差に愕然とせざるを得ないからだ。

私はある意味で鎖国主義者なのだが、こと原発関連情報、特にこの度の福島を初めとする原発事故関連情報に関しては、今の日本のような鎖国状態には断乎として反対する。ことは人間の健康や人命に関する問題である。海外の科学者やジャーナリストの意見を聴いていると、日本人の今置かれている状況は危機的状況と言っても決して過言ではない。

事故の発生した原子力発電所から半径何キロの範囲云々とか、そう言った類の話ではない。福島原子力発電所からどのくらい離れていようが、今や放射能の影響から逃れることは出来ない。国内産の農作物はどんなものであっても、いずれ放射性物質の影響が何らかの形で、全ての産物に及ぶことは間違いない。特に危険なのは魚介類であろう。こちらは回遊するものも多いだけに、産地が何処であるから、という判定は凡そナンセンスである。そして、かく申す私もこれらの食品を口にしなくては生きて行けないのが現実であり、これを読んで下さるあなたも同じで、日本から成る可く離れた海外に移住し、日本産の食品や回遊魚などの魚介類を長期間に亘って口にしないようにしない限り、逃れることは出来ぬ運命にある。

それどころか、日本から遠く離れた米国西海岸でも偏西風に乗って運ばれたプルトニウム粒子が平均5個/1日当たり飛散しており、この粒子は髪の毛の切断面より小さいので、人は否応なく体内に吸引してしまうと言う。4月のデータでは東京でもプルトニウム粒子が10個/1日飛散していた、という。この粒子は野菜、特に葉物などの表面に付着するので、野菜はよく水洗いすべきだ、とのことで、日本の放射能状態はチェルノブイルの倍くらいの劣悪状態にあると米国Chief Nuclear EngineerのArnie GundersenはCNNニュースの中で述べている。

プルトニウム239(半減期2万5千年程度)の漏出、飛散について、日本は政府を始め関連する東電や財界、原発推進、維持派の関係者は直(ひた)隠しにしようと懸命で、この関連情報は殆ど国内で観ることが出来ないのに対し、海外ではこれが大問題となっており、それに関する情報開示に消極的、秘密主義の日本政府や東京電力の対応に疑問と批判が湧き起こっている。

海外からの日本政府の国民に対する対応は犯罪的ですらあるというドイツTVの報道以外にも、私が観たものだけでも英国、オーストラリア、カナダ等からの日本人の置かれた悲劇的な状況を伝える報道には事欠かない。それに対し、国内向けの統制された情報だけを信じている人々を見聞きしていると、絶望的な気分となる。

だから、次のような案内をするのも、或る意味で無意味とも言えるのだが、それでもやって置こう。

来る9月9日(金)18時30分より(開場18時00分)和歌山市内プラザホープでドキュメンタリー「100,000年後の安全」が、県平和フォーラム(℡073-425-4180)主催で上映される(入場協力券500円)。

ドキュメンタリーの内容は次のように紹介されている。
「原発から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場が、フィンランドで世界初めて建設中。100年分の廃棄物を、無害化するとして10万年後まで地下500メートルで密閉管理する計画。施設内の映像や科学者へのインタビューを通じ、途方もない未来への安全と責任を問う」

確認出来た訳ではないが、この紹介文からして私は以前観たNHKの世界のドキュメンタリーと同じ内容だ、と判断している。もし、同じものなら、この関係の映像の中では、毎月有志と共に続けている「詩をきっかけとして考える会」の仲間に私が一番に推奨して、観て貰いたいとかねがね考えていた作品なのである。

この作品には、色々と考えるべき問題が提示されている。先ず、我々が既に手を染めてしまった原子力(核エネルギー)利用から出る廃棄物を無害化できるとしても10万年も掛かる、という専門家の見解。

考えても見て欲しい。我々人類がいわゆる歴史を文字で記録できるようになってから現在までの時間はたかだか数千年である。それでも個人にとっては気の遠くなるような時間である。有史以来の年月をもう一度繰り返したとしてやっと1万年。その10倍という無限に近い時間は、果たして人間の触れることが許される範囲だろうか?私はどちらかと言えば唯物論者だが、このスパンは、人間の関わる領域ではなく、神あるいは神でなくても畏敬すべき大自然の犯してはならぬ領域であると信ずるのだが…。

また、今を生きる人類の一員として、10万年にも及ぶ期間中に生まれて来て死んで行く、我々の子孫である人類に、このような人智に余る汚染物質を、目先の自分勝手なエネルギー欲しさという理由だけで、果たして押しつけることが許されるのだろうか、また、そんな権利どこにあるというのだろうか?

このドキュメンタリーを観たとき、この作品は色々な角度からの問題を我々に突きつけている、と感じた。それは科学的な考え方だけではなく、哲学的、倫理的、宗教的、歴史的、地理的、経済的、文化的などあらゆる立場から考えてみるべき問題を含んでいる。

私の仲間には是非観て貰いたいし、自らに関わる問題は自ら考えて判断したい、と思われる方には是非お勧めしたい。

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