My Ads

2011年9月3日土曜日

<一日一書>(八十五)「亡国の民」


『今日は土曜日。
天気は雨、風ときに強し。』


さて、今日の話を始めよう。

昨日書いた<一日一書>(八十四)「100,000年後の安全」を「詩をきっかけとして考える会」のメンバーを中心として、私の友人達に発信する際の本文メッセージを準備してみようと思う。ドキュメンタリー上映の広報となる<一日一書>(八十四)の方は長文となったので、文書として本文メッセージ・メールに添付することにしよう。

高知県に台風12号が上陸したと、TVが報じておりました。台風の影響は広い範囲に及びますので、皆さまのお住まいの地でも何らかの影響はあると思いますが、如何でしょう、お伺い致します。私が住んでおります場所は和歌浦湾口に面しておりますが、ここは台風時には中型の貨物船が避難のため停泊するような所なので、防潮堤上から先刻満潮時に視認した際は雲か霧に覆われて明瞭に観察することは出来ませんでしたが、遙か沖合に二、三隻の船影を認めることが出来、また海浜に特別異常な様子も見られませんでした。

さて、添付文書を発信する私の今の心境を成る可く簡単に述べてみたい、と思います。

今年7月私は満78歳となりました。大東亜(太平洋)戦争に敗戦したとき、私は12歳、国民学校6年生で東京から疎開して当時の和歌山県西牟婁郡江住村の江住国民学校に通っておりました。
多分、その年の暮れ、もしくは年明け早々(昭和21年)に、母の強いすすめで東京の中学校を受験すべく和歌山県から単身で東京へ向かい、当時家のあった豊島区要町に辿り着くため、最寄りの省線(国鉄、現在のJR)池袋駅の西口に降り立ちました。
久しぶりの懐かしい池袋駅前の景色を目にしたとき、呆然と立ち尽くしたことを思い出します。記憶にあった建物は完全に焼失していました。目の前にあったのは、焼け焦げて、それも一部だけ残った真っ黒な柱や、全て真っ黒になった何かの枠とかそんな物だけが散在しているだけで、その他は賑やかな街の建物がすっかり無くなってしまった後の、妙にあっけらかんと拡がる住宅地に通ずる道の周りに現出した空間が見えるばかりでした。

虚脱感は周りにも満ち溢れていたようですが、それでも人々は動き回っていた、という印象があります。それから66年を経て今回大震災を経験しました。大災害であることを真摯に受け止めても、これだけなら敗戦時の状況と比較して論じることは可能だと思います。しかし、東京電力は福島原子力発電所で大事故を発生させました。この事態を加味すれば、現状は敗戦時とは比較にならぬ程深刻だ、と確信しております。私情を率直に述べれば、今や日本は絶望的な状況にあります。そして、このような私の発言を多少なりとも訝しく思われる方が少なく無いであろうと推察される現実こそ、私が絶望的だ、と申し上げる根拠なのです。

起こっていることの正確な事態を自らで把握すること、その事態を認識した上で、それに警鐘を鳴らす専門家の意見を白紙の状態で聴き、自ら考え、理解し、その為に自分はどう行動すべきか?を定めて具体的な一歩を踏み出すこと、今後の進展はそれに尽きる、と確信します。皆さん一人一人の運命は自分が握っていることをお忘れになりませんように。

余り繰り返しはしたくありませんが、今の日本政府、与野党関係なく多くの政治家や、企業家、特に原子力関係者(一部の科学者、専門家を除く)およびマスコミ(大手新聞、TV)は組織的に戦時中の大本営状態を現出させ、海外からの情報を遮断し、国民を欺瞞情報によって誘導することに努めるばかりです。

現状は敗戦時の状態を遙かに超える絶望的な有様であると断ずる所以です。

(これ以上、何も聞きたくないという方は、添付文書を参照する必要はありません。もし、そうでない方は是非ご参照下さい。)

0 件のコメント:

コメントを投稿