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2011年3月23日水曜日

「詩をきっかけとして考える会」4月例会案内


今回もMさんは講師を務める大阪のカルチャーセンター出張にて、またNさんは予定の手術を全て順調に終了されたが、暫く療養を続け、体調の回復を図る旨の事前連絡で欠席、3月例会出席者はY、S、T、A(敬称略)およびJの5名であった。
 例会では、前回のお知らせ(下記項目)の、コーディネータJによる見解に対する参加者諸氏のご意見を伺い、実践可能な行動を見極めて行きたい、と企画していた。

 1.価値判断の基準が経済(お金の仕組み)に偏りすぎていないか?
 2.米国スタンダードのグローバル化神話に惑わされていないか?
 3.中央集権、首都一極化は行き詰まりつつあるのではないか?

しかし、3月例会では急遽テーマを次のように変更して、進めた。

 (1)東北関東大震災の状況
  東北の状況はマスコミからの情報しかないが、関東(東京都、神奈川県)は、長年住み慣れた関係で、Jが、親族や親しい友人から直接得た情報を報告した。
それによると、地震の規模は70歳後半まで東京にずっと暮らしていた友人達にとって、今まで体験した最大のものであった、という一致した答えを得た。また、杉並区在住(マンション3階)の長男家の居間では、テレビ台上の大型テレビが床に落下、キッチンでは食器棚のガラス戸が外れ、中の食器が一部落下していた(いずれも不在中)。2階建ての木造家屋の場合、同じく杉並区の友人宅は屋根瓦が落下寸前状態で、地震の際、畳に腰を下ろしていたその友人は長い横揺れのため、立ち上がることが出来ず、一時は「これで終わりか」と覚悟したほどだった。神奈川県相模原市の友人は、屋内に居られず、庭に飛び出した。更に、東京都町田市の友人(マンション10階)は、大きく、長い揺れの間、柱に掴まり、立っているのがやっとで、棚から滑り落ちる物品を、ただ放置するだけで、後片付けが大変とのことであった。
 実は、今回出席のAさんは、地震発生時に東京の新宿駅で、九段方面へ向かおうとしていた、とのこと。激しい揺れに恐怖を感じた、という。その後、全ての交通機関が停止したが、辛うじてタクシーを拾い、目的地に向かうことが出来た。帰郷に際し、予定していた夜行バスは運行停止、一夜を明かした上、翌日幸運にも新幹線指定席の購入に成功、やっと和歌山に戻ることが出来たが、その間、全く電話は不通で家族と連絡を取り合うことさえ出来なかった、という実体験報告もあった。

 (2)原子力発電所-放射能の問題点
  東北地方を襲った大地震、巨大津波の惨禍もさることながら、原子力発電所が"out of control"状態に陥ったことは非常に深刻な問題であるだけではなく、現時点でも事態終息の目処が充分立っていると言えないのは、大問題である。予てより、原発のメリットとして二酸化炭素排出の無いことのみクローズアップされ、実は二酸化炭素とは比較するのも躊躇われる程の被害を齎すであろう、使用済み核燃料物質由来の放射線問題が等閑にされている現実を奇異に感じて来た(J)。
 図らずも今回、安全神話に基づき国と大企業により、周辺住民や識者の懸念をよそに、密かに、そして狡猾に進められて来た計画が自然の猛威の前に完膚無きまでに、その醜悪な実態を晒す結果となった。
 一般に、科学の世界では条件の設定如何により、全く逆の結果を齎すことさえあり得るし、数値の大小は飽くまで相対的な比較の問題である。言いたいのは、『直ちに人体に被害を齎す量ではない』というような発言の無責任さ、根拠の無さを指摘することに尽きる。『直ちに人体に被害を齎すケース』とは爆発時の放射能を直接大量に浴びるとか、原子爆弾を間近で被爆した場合に限られ、それ以外は全て前者に当て嵌まる。問題は、今後『経時的に人体にどのような悪影響を及ぼすか』である。
 人体に付着した放射性物質は洗い落とすことは出来ても、洗い落とされた物質の放射能が直ちに消滅するわけではなく、半減期を順次経過して行く放射線の減衰をただ漫然と待つことしか人間に出来ることはない。その間に野菜や作物の放射能汚染は勿論、進行するであろうし、海水の汚染から海産物にまで影響は及ぶであろう。これは一産地の問題に留まらず、回遊魚などによって全国的な問題となり得る。
 そもそも原子力発電所の建設そのものが、使用済み核燃料廃棄物の、納得の行く処理方法のない侭、見切り発車された、と考える(J)。放射線を放出し続ける物質を、ただ隔離し、人々の目の届かない場所に隠蔽するだけが、現在唯一の処理手段というのが現実であろう。

 では、不足する発電量を初めとする我が国の課題を今後どのようにして解決すべきか?手前味噌になるが、前例会での論述『この狭い国土で巧みに暮らして行かねばならぬ我々にとっては、「己の身の丈にあった生き方」を選択する方向こそ、それだと言えるのではないか。市場原理主義に基づく経済偏重、経済至上思考、効率化一辺倒思考により不毛となりつつある我が国の精神的風土の再生と、様々な共生の仕組みを工夫することにより、あらゆる世代、あらゆる地域の活性化を目指すべきだろう。』(文責:H.J.)。

 4月例会は、昨年の例に習い、海南市の温山荘園および隣接する公園での花見を兼ねて行う(雨天決行-雨天の際は温山荘にて)。今回は勿論、常の例会でも参加資格は特別に設けず、誰でも、いつでも(出欠自由、参加、退出時間も自由)。また、会費の徴収などは一切行わないが、その都度、参加者全員の頭割りによる実費負担(会場使用料)および自分の飲み物代などは各自負担)を要する。

 また、今回は花見のため、有志メンバーのご厚意による手作り弁当、若干の飲み物、つまみなどを用意(各自実費負担)。この他に温山荘の一室半日使用料2,500円の参加者頭割り分およびコーヒー代300円の他、温山荘園維持会員を除く一般の方は入園料300円が必要。参加者の駐車場利用は無料。
 奮ってご参加下さい。尚、弁当準備の都合上、今回に限り、参加ご希望の方はその旨、4月2日(土)までにご連絡下さい。
 (今回も地元海南市在住のMさんが、花見の場所取りなど格別にご協力下さいます。)

 花見の後、温山荘へ移動し、コーヒーで歓談するが、一応テーマとして今回の「東北関東大震災」と敗戦直後の日本の被害状況との対比や復興の見通し等について、話し合ってみたいと考えて居る。

 例会日時および場所は下記の通り。

       集合場所: 海南市「温山荘」入園券売り場前
           日時: 4月5日(火)午後1時

                 「温山荘」園  TEL: 073-482-0201
          
(大変長いお知らせとなりましたが、番外として療術士の友人から提供された放射能関連情報を以下に添付します。)

『ゼオライト・ラボ情報 2011.3.21. グループの皆様にお伝え下さい

□放射性物質と液体ゼオライト(4)

放射線にはアルファ線、ベータ線、ガンマ線、エックス線などのような体を突き抜ける一過性のものと放射性物質のように体内などにとどまって消えるまで放射線を出し続けるものがあります。レントゲン検査のときは一過性のものですが、ストロンチウム、セシウム、ヨウ素などの放射性物質は体内にとどまり、付着した場所で放射線を出し続けるので微量であっても大きな被害を蒙ります。もうすでにおかしいと感づかれた方もおられるかと思いますが、連日TVや新聞で放射線の危険性を説明するときに、放射線量だけを基準にして比較しています。一過性に浴びる場合と、体内被曝する場合との区別をしないようにして巧妙に比較しています。このような説明の仕方によって私たちに誤った安全性を植えつけようとしているのがよくわかります。博識の専門家の方々でしたら十分理解しているのにまったく口を閉ざしているのを見ると情報がコントロールされているように思えてなりません。かと言って体を通り抜ける放射線が安全だとは決して言えません。免疫を下げたり、発ガンを促したり、DNAを傷つけたりして一時的にまた長期的に後遺症を残したりします。どちらにせよ放射線は怖いものです。』

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