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2010年10月29日金曜日

貴所感に対する私見-1

H.I.様

 初めまして。ニックネーム(ぶらいおん)と申します、俳優Sさんから貴方の書かれた「折々に思う」が回って来ました。『何か、感想があれば…。』ということでしたので、書いてみます。


 1.私も”「九条の会」アピールに賛同する詩人の輪”に参加している一人です。貴方の所感の内容には略同感です。特に「人間個人の完全な自由の確保」は、私が常々考え、「かく、あらねばならぬ」と信じる中心に置かれるべき主張です。

 2.『戦争と個人の意志』の項目の下に書かれた内容について、私の意見を述べてみたい、と思います。「島尾敏雄を含め、特攻隊員がなぜ自ら志願したのか、戦後生まれのわたしには理解できない。---特攻を志願する心理は やはり不可解としか言いようがない。---」とあります。

 敗戦時12歳(国民学校6年生)、大東亜戦争(敢えて、太平洋戦争は使いません。言葉のすり替えによるいかがわしさを感じるからです。「大東亜戦争」の方が、実体は兎も角、遥に当時の状況を適切に表現している、と思います)開戦時8歳(国民学校2年生)だった私からすれば、当時の青少年が、何故率先して特攻隊員や予科練生を志願したか、痛いほど良く理解できます。

 色々な会で、いつも私が体験するのが、上記の一点で、戦中生まれと戦後生まれの決定的な体験、認識の差だと思います。私は今で言えば、小学生でしたが、いずれ中学校進学の年齢に達すれば、幼年学校か、海軍兵学校に入学し、勉強、訓練を経て「お国のために死ぬのだ!」と信じて些かも疑いませんでした。それは熱狂的な愛国青少年達ばかりのことではありません。私自身はと言えば、ごく平凡な何処にでも居る平均的な少年でした。

 当時の体験のない方に言っても、通用しないかも知れませんが、その時代の青少年達の全てに、それ(お国のために命を捧げる)以外の考え方や選択の余地は皆無でした。「狂気」と思われるかも知れません。全くその通りなのです。外から見れば「狂気」と見えるものが、国民全体の至極あたりまえの考え方とされていたのです。今の北朝鮮や、行き過ぎに見える中国の若者たちの過激デモこそ、その当時の日本の姿そのものです。(続く)

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