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2009年5月2日土曜日

「革命」という言葉を識っていますか?

 手持ちの写真も色々ある。それに合わせて書くことだって色々ある訳だ。 有り過ぎて却って書くのが遅れてしまった。

 この写真は4月28日夜、和歌山県民文化会館小ホールで行われた斎藤貴男氏による講演会場で撮影したものだ。

 「平和と平等をあきらめない」ために憲法9条の戦争放棄や25条の生存権の遵守が今こそ強く求められなければならない、というのが氏の講演内容だった、と記憶する。昭和33年生まれの斎藤貴男氏と同じく33年生まれ、と言っても小生の方は西暦の1933年生まれだから、早い話、1/4世紀の違いがあり、彼の両親と私は多分略同年ではないだろうか?それでも彼の話の内容について私は略同意見である。講演後に設けられた質問時間に私は彼に訊ねた。この講演内容を具体的に実現すべく我々は何を為すべきか?一体我々に何が出来るのか?

 私の印象では回答は控えめで具体性に欠けていたように思える。しかし、その答え様から、私は彼があの場で発言できなかったことを逆に感じ取ることが出来た。彼自身、こんな話の内容だけで、望ましい方向が実現できたり、世の中が変わり得るとは思っていないに違いない。Webは不自由だ。書籍なら、そこまで遠慮する必要はあるまい。

 また、今のTVもメージャーのマスコミも、本来のジャーナリズムとして正しく機能していない。スポンサー(営利事業会社、つまり資本家)や政権に居座った政治家共に都合のよいように、やりたい放題に利用されているに過ぎない。

 この状態を打破すること!それしか解決の道は無い。大多数の庶民が、そのような読み方が出来るようになるまで(そんな時が果たしてやって来るか?私見では可成り悲観的だ)、この根本的問題の解決は無かろう。

 人間は愚かである。何世紀経っても一向に進歩の兆しが見えない。尤もそれでよいのかも知れない。人類(ホモ・サピエンス)だけが繁栄する必要なぞ、元々有りはしないのだから、地球や宇宙や他の種の立場からしてみれば…。

 何とか楽観的なことを書いてもみたいのだが、正直に言えば、今のところ、絶望と虚無しか私には見えない。


 昨日、1993年秋に出版された筒井康隆著「断筆宣言への軌跡」を入手して読み始めた。この文章を投稿する一つのきっかけとなったことは確かだ。



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