西行庵
「願はくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃」その願い通り、西行は文治六年(1190年)二月十六日に寂した、という。櫻の花が大好きだったのだろう。「仏には 櫻の花を たてまつれ わが後の世を 人とぶらはば」この庵が終の栖というわけではなかったようだが、このように狭く、気密性の乏しい山深い一軒家(というより小舎)に一人暮らしていれば、冬は非常に厳しく、また寂しく、心細かったのではなかろうか。それでも仏道にひたすら修行し、歌の世界に徹する喜びを感じて居たのだろうか?不信心な無頼男には、到底伺い知れない異質な世界…?それでも、櫻の季節には、薄桃色の花吹雪が、庵の前で乱舞する日もあったろう。俳句を好む向きが圧倒的に多いようだが、私は和歌の人間臭さに、遥に惹かれている。
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