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2011年3月28日月曜日

驚嘆すべき日本人!


 『2011年3月28日14:53  :

> ドイツ人の原発についての危機意識に感銘を感じました。
> 娘の会社はドイツ系の商社です。バイオの薬品等を売っております。女子はだいたい日本人ですが、男子はドイツの人です。地震の時たまたま会社のトップが来ていて大分驚いたようです。即退社避難を命令、タクシー使ってよし、とのことでしたが乗れるわけがありません。歩いて帰宅しました。月曜日出社したところがすぐに自宅待機になり、三日程で大阪へ出張になりました。娘は理由がわからず事務所に抗議すると、新宿にはシエルターがないからだといわれ、大阪へ行きました。とにかく核にたいする危機意識は、被爆を経験している我れ我れ日本人よりかなり強いものだと思いました。   箱根以東はカザフスタン化すると考えているんじゃないかと思います。』


 上に掲げたのは、中学、高校時代の友人からのメールで、以下が私の返信です。

 全く、同感です。日本人はオメデタ過ぎます。『箱根以東はカザフスタン化すると考えているんじゃないか』こちらの判断の方が現実の姿に近い、と考えます。確か、新聞に次のような趣旨の記事がありました。外国人の見た日本人の姿についての意見です。『危機的状況にあっても忍耐強く、整然として秩序を維持する日本人の姿は驚嘆に値する。一方で、政府(お上)を信頼し過ぎて何の疑問も持たず、抗議もせず、言われるままに従っていることが理解できない。』

 元もと原発推進は国と大企業の政治的に汚れた裏取引による(住民の安全性確保の見通し無しでの)見切り発車事業ですから、自らの大失敗を出来るだけ隠そうとするのは当然です。たとえ、起こってしまったことでも、都合の悪いことはなるべく隠し覆そうとし、隠し通せない場合のみ、良い結果と悪い結果が五分五分の場合、良い方だけに光を当てるように御用学者(世間では権威があると思わせる肩書き)を利用しているのが、見え見えなのですが、どういう訳か?大勢の日本人はそのからくりに一緒に乗って、自らの疑問まで押し流した上、いかさまな、汚れた藁の方を掴んで(みんながそれで安心しているのだから)自分もそうしよう「赤信号みんなで渡れば怖くない」思考とそれに即した行動です。この傾向は先の愚かな戦争に突入した際の状況と同質で、そこに何らの進歩も、また学習の効果も見られません。このままでは、日本という国が消滅するまで続く泥濘でありましょう。

 出国可能な外国人は日本を離れ、日本からの食料品はもとより、それ以外の輸入品についても放射能チェックが、既に実施されています。これが現実です。外国人の反応が過剰なのではなく、日本人が鈍感で、愚かで、誤った権威に弱く、ひたすらオメデタイだけです。
 私は日本人なので行くところがありません(スペイン在住の日本人の友人は居ますが…。今更、そこまで避難できないし)。仕方がないので、私も『放射能汚染被害、みんなで被って、世界人類のモルモットになろう!』と覚悟を決めました。『花の下にて春死なむ!』

2011年3月25日金曜日

「詩をきっかけとして考える会」お知らせ-110325番外編


 殊更、不安を煽り立てる気持ちは毛頭ありませんが、意図的あるいは不正確(たとえば、設定条件が不十分)な情報や伝達方法を見聞する度に黙っていられなくなります。


 少し長くなりますが(数字や計算だけで頭が痛くなると言う方も、我慢して、以下一通り目を通して下さい。貴方ご自身や、お子さん、お孫さんに直接関係のあることですから)、友人の療術士から提供された情報です。先の連絡でも触れましたが、科学的立場では、数値の大小だけ取り上げてみても意味がありません。条件がはっきり特定されてこそ、その条件下の影響を考えることが出来ます。

 また、人体に対する影響の有無と言えば、物理的数値だけで云々できぬ事も当然です。生きている人体が、どれほどその物質を吸収、蓄積するか?等も当然、判断の基準にすべきだからです。言いたいことは、良きにつけ悪しきにつけ、数値の大小だけで物事を判断しようという態度は棄てるべきです。発表される数値や情報が、十分に条件を抑えた、判断材料として利用可能なものかどうか?を冷静に見極めて頂きたい、と思います。

都合の良い情報であろうが、悪い情報であろうが、
客観的に成立し得る物差しをもって、自分の頭で冷静に判断する姿勢を貫くことが、こういうときこそ特に大切だ、と思います。私が申し上げたことは釈迦に説法で、何を今更…、というリアクションがあれば、それでよいので、その際は私の取り越し苦労を笑い飛ばして下さい。

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『ゼオライト・ラボ情報 2011.3.25. グループの皆様にお伝え下さい


☆放射線量の計算の仕方(1) 放射能の強さはベクレル(Bq)という単位で測りますが、
人体の被曝量(放射線を浴びた量)はシーベルト(Sv)という単位で測ります。このシーベルトと言う単位について知人の大学の量子生物学教授に聞いてみたところ次のような回答がありました。

世界の人々が1年間に何もしなくても浴びている放射線の被ばく量は、平均2.4ミリシーベルトと言われていますが、この場合は、時間あたりの単位と区別する必要があります。1年間を時間に変換する必要があるからです。1年間は1日24時間×365日=8760時間です。だから、2.4ミリシーベルト/8760
= 0.000274ミリシーベルトとなります。

1,000倍してマイクロシーベルトに変換すると、0.
000274ミリシーベルト=0.274マイクロシーベルト
つまり、毎時(1時間当たり)0.
274マイクロシーベルトになります。ですから正確に言うと毎時0.274マイクロシーベルトを24時間365日被曝し続けると、2.4ミリシーベルトに到達する計算になります。」

政府から指示された雇われ御用学者たちやマスコミはこの毎時シー
ベルトをうまく使って私たちに誤った安全性を植え付けようと欺いています。毎時シーベルトで計算される環境はそこに1時間だけいることで被曝する放射線量ですが、そこに居住して長時間放射線にさらされる場合とはまったく違った環境なのです。法律では「普通の人は自然放射線を除いて一年間に1ミリシーベルトまで」と決められています。これを毎時シーベルトに変換すると1ミリシーベルト/8760
=0.0001ミリシーベルトとなり、
これを1000倍すると毎時0.1マイクロシーベルトとなります。正確に言うと法律では毎時0.1マイクロシーベルトのところに1年住み続けることが被曝量の限度なのです。

国の発表やテレビで報道しているシーベルトは毎時が省略されてい
る場合が多いですが「1時間あたりのシーベルト」ですから、42日間(24時間×42日)住むとその約1000倍になります。1年住み続けるとその8760倍になるということです。白血病になるシーベルトは約400ミリシーベルト毎時といわれているので1時間400マイクロシーベルト毎時のところに1時間いても大丈夫ですが、40日間あまり住んでいると白血病になることになります。365日住み続けると3500ミリシーベルト、すなわち3.5シーベルトとなりのっぴきならない事態を迎えることになります

CTスキャンで全身を撮影すると少なくとも700マイクロシーベ
ルト毎時の放射線を受けますが、もしも700マイクロシーベルト毎時が検出されているところに42日住むと1000倍になって70万マイクロシーベルトすなわち700ミリシーベルト以上になり確実に白血病になることになります。このように国やマスコミが説明していることに重大な疑問を生じることを理解していただければ幸いです。

1シーベルト=1000ミリシーベルト=
100万マイクロシーベルト

0.001シーベルト=1ミリシーベルト=
1000マイクロシーベルト

0.000001シーベルト=0.001ミリシーベルト=
1マイクロシーベルト


●7シーベルト毎時 (7000ミリシーベルト毎時):     全員が確実に死ぬレベル

●4シーベルト毎時 (4000ミリシーベルト毎時):     半数が死ぬレベル
●400ミリシーベルト毎時:                   白血病になるレベル
●1ミリシーベルト(1年)=毎時0.1マイクロシーベルト: 法律で定められた限界レベル』

2011年3月23日水曜日

「詩をきっかけとして考える会」4月例会案内


今回もMさんは講師を務める大阪のカルチャーセンター出張にて、またNさんは予定の手術を全て順調に終了されたが、暫く療養を続け、体調の回復を図る旨の事前連絡で欠席、3月例会出席者はY、S、T、A(敬称略)およびJの5名であった。
 例会では、前回のお知らせ(下記項目)の、コーディネータJによる見解に対する参加者諸氏のご意見を伺い、実践可能な行動を見極めて行きたい、と企画していた。

 1.価値判断の基準が経済(お金の仕組み)に偏りすぎていないか?
 2.米国スタンダードのグローバル化神話に惑わされていないか?
 3.中央集権、首都一極化は行き詰まりつつあるのではないか?

しかし、3月例会では急遽テーマを次のように変更して、進めた。

 (1)東北関東大震災の状況
  東北の状況はマスコミからの情報しかないが、関東(東京都、神奈川県)は、長年住み慣れた関係で、Jが、親族や親しい友人から直接得た情報を報告した。
それによると、地震の規模は70歳後半まで東京にずっと暮らしていた友人達にとって、今まで体験した最大のものであった、という一致した答えを得た。また、杉並区在住(マンション3階)の長男家の居間では、テレビ台上の大型テレビが床に落下、キッチンでは食器棚のガラス戸が外れ、中の食器が一部落下していた(いずれも不在中)。2階建ての木造家屋の場合、同じく杉並区の友人宅は屋根瓦が落下寸前状態で、地震の際、畳に腰を下ろしていたその友人は長い横揺れのため、立ち上がることが出来ず、一時は「これで終わりか」と覚悟したほどだった。神奈川県相模原市の友人は、屋内に居られず、庭に飛び出した。更に、東京都町田市の友人(マンション10階)は、大きく、長い揺れの間、柱に掴まり、立っているのがやっとで、棚から滑り落ちる物品を、ただ放置するだけで、後片付けが大変とのことであった。
 実は、今回出席のAさんは、地震発生時に東京の新宿駅で、九段方面へ向かおうとしていた、とのこと。激しい揺れに恐怖を感じた、という。その後、全ての交通機関が停止したが、辛うじてタクシーを拾い、目的地に向かうことが出来た。帰郷に際し、予定していた夜行バスは運行停止、一夜を明かした上、翌日幸運にも新幹線指定席の購入に成功、やっと和歌山に戻ることが出来たが、その間、全く電話は不通で家族と連絡を取り合うことさえ出来なかった、という実体験報告もあった。

 (2)原子力発電所-放射能の問題点
  東北地方を襲った大地震、巨大津波の惨禍もさることながら、原子力発電所が"out of control"状態に陥ったことは非常に深刻な問題であるだけではなく、現時点でも事態終息の目処が充分立っていると言えないのは、大問題である。予てより、原発のメリットとして二酸化炭素排出の無いことのみクローズアップされ、実は二酸化炭素とは比較するのも躊躇われる程の被害を齎すであろう、使用済み核燃料物質由来の放射線問題が等閑にされている現実を奇異に感じて来た(J)。
 図らずも今回、安全神話に基づき国と大企業により、周辺住民や識者の懸念をよそに、密かに、そして狡猾に進められて来た計画が自然の猛威の前に完膚無きまでに、その醜悪な実態を晒す結果となった。
 一般に、科学の世界では条件の設定如何により、全く逆の結果を齎すことさえあり得るし、数値の大小は飽くまで相対的な比較の問題である。言いたいのは、『直ちに人体に被害を齎す量ではない』というような発言の無責任さ、根拠の無さを指摘することに尽きる。『直ちに人体に被害を齎すケース』とは爆発時の放射能を直接大量に浴びるとか、原子爆弾を間近で被爆した場合に限られ、それ以外は全て前者に当て嵌まる。問題は、今後『経時的に人体にどのような悪影響を及ぼすか』である。
 人体に付着した放射性物質は洗い落とすことは出来ても、洗い落とされた物質の放射能が直ちに消滅するわけではなく、半減期を順次経過して行く放射線の減衰をただ漫然と待つことしか人間に出来ることはない。その間に野菜や作物の放射能汚染は勿論、進行するであろうし、海水の汚染から海産物にまで影響は及ぶであろう。これは一産地の問題に留まらず、回遊魚などによって全国的な問題となり得る。
 そもそも原子力発電所の建設そのものが、使用済み核燃料廃棄物の、納得の行く処理方法のない侭、見切り発車された、と考える(J)。放射線を放出し続ける物質を、ただ隔離し、人々の目の届かない場所に隠蔽するだけが、現在唯一の処理手段というのが現実であろう。

 では、不足する発電量を初めとする我が国の課題を今後どのようにして解決すべきか?手前味噌になるが、前例会での論述『この狭い国土で巧みに暮らして行かねばならぬ我々にとっては、「己の身の丈にあった生き方」を選択する方向こそ、それだと言えるのではないか。市場原理主義に基づく経済偏重、経済至上思考、効率化一辺倒思考により不毛となりつつある我が国の精神的風土の再生と、様々な共生の仕組みを工夫することにより、あらゆる世代、あらゆる地域の活性化を目指すべきだろう。』(文責:H.J.)。

 4月例会は、昨年の例に習い、海南市の温山荘園および隣接する公園での花見を兼ねて行う(雨天決行-雨天の際は温山荘にて)。今回は勿論、常の例会でも参加資格は特別に設けず、誰でも、いつでも(出欠自由、参加、退出時間も自由)。また、会費の徴収などは一切行わないが、その都度、参加者全員の頭割りによる実費負担(会場使用料)および自分の飲み物代などは各自負担)を要する。

 また、今回は花見のため、有志メンバーのご厚意による手作り弁当、若干の飲み物、つまみなどを用意(各自実費負担)。この他に温山荘の一室半日使用料2,500円の参加者頭割り分およびコーヒー代300円の他、温山荘園維持会員を除く一般の方は入園料300円が必要。参加者の駐車場利用は無料。
 奮ってご参加下さい。尚、弁当準備の都合上、今回に限り、参加ご希望の方はその旨、4月2日(土)までにご連絡下さい。
 (今回も地元海南市在住のMさんが、花見の場所取りなど格別にご協力下さいます。)

 花見の後、温山荘へ移動し、コーヒーで歓談するが、一応テーマとして今回の「東北関東大震災」と敗戦直後の日本の被害状況との対比や復興の見通し等について、話し合ってみたいと考えて居る。

 例会日時および場所は下記の通り。

       集合場所: 海南市「温山荘」入園券売り場前
           日時: 4月5日(火)午後1時

                 「温山荘」園  TEL: 073-482-0201
          
(大変長いお知らせとなりましたが、番外として療術士の友人から提供された放射能関連情報を以下に添付します。)

『ゼオライト・ラボ情報 2011.3.21. グループの皆様にお伝え下さい

□放射性物質と液体ゼオライト(4)

放射線にはアルファ線、ベータ線、ガンマ線、エックス線などのような体を突き抜ける一過性のものと放射性物質のように体内などにとどまって消えるまで放射線を出し続けるものがあります。レントゲン検査のときは一過性のものですが、ストロンチウム、セシウム、ヨウ素などの放射性物質は体内にとどまり、付着した場所で放射線を出し続けるので微量であっても大きな被害を蒙ります。もうすでにおかしいと感づかれた方もおられるかと思いますが、連日TVや新聞で放射線の危険性を説明するときに、放射線量だけを基準にして比較しています。一過性に浴びる場合と、体内被曝する場合との区別をしないようにして巧妙に比較しています。このような説明の仕方によって私たちに誤った安全性を植えつけようとしているのがよくわかります。博識の専門家の方々でしたら十分理解しているのにまったく口を閉ざしているのを見ると情報がコントロールされているように思えてなりません。かと言って体を通り抜ける放射線が安全だとは決して言えません。免疫を下げたり、発ガンを促したり、DNAを傷つけたりして一時的にまた長期的に後遺症を残したりします。どちらにせよ放射線は怖いものです。』

2011年3月18日金曜日

老々介護の天災避難


今回の大震災の際、和歌山市に発令された大津波警報について、東京の高校後輩(現在、広島県在住)の友人から貰ったお見舞いメールに対し、私から発信したメールを参考のため添付します。


『Re: ケ・セラ・セラ
返信
|
From J
 To XXXX
   
詳細を表示 3月13日 (4日前)
   
お見舞いありがとうございます。TVで繰り返される規模の津波が来れば、どう足掻いても逃れられぬ環境にあります。避難勧告は出ておりましたが、満足に動けぬ母と一緒では気休めの避難は事実上無益です。全てが落着すれば、それも一つの解決と覚悟していますので、避難はしませんでした。結局、実害は全くありませんでした。それより、東京の被害や障害の方が遥に大きかったようで、いつも貰っているお見舞いの連絡をこちらから多数の友人達にしました。今まで体験した内で一番大きな地震というのが、一致した意見でした。次はこちら方面に来るでしょうが、その時には空の向こうにいるか?消滅して何処にも居ないいないでしょうから全く問題ありません。




私の環境と立場を理解して頂くために再録しました。3月15日夕刻、日課の片男波海岸散歩の折、地元自治会の会長代理(昨年までずっと会長)の方と出会い、「Jさんは避難勧告の際、避難しましたか?」と質問されました。彼の話によれば、片男波自治会の避難達成率は和歌山市他地区に比べ抜群に高かったので、地元紙やNHK和歌山放送局の取材に際し、それを誇りたかったようです。しかし、上記メールのように私の答えは彼の期待を裏切ったわけです。私は避難しなかった理由として、自治会から予め問い合わせのあった調査の際、「避難に際しては、若い方の助力を要す」という欄に登録して置いたにも拘わらず、どこからも何の連絡もないし、津波の被害を回避できる高所まで、歩行補助器具を利用し、やっと屋内だけを僅かに移動できる99歳の超老人である母を、後期高齢者の私が自動車も利用することなく、同道して避難することなど現実問題として不可能だから、と述べました。


自治会の調査用紙に基づく対応策は「避難に際し、事前に”要援助登録”を済ませ、かつ一人暮しの老人世帯のみを対象とする(同居家族の居る世帯は除く)、というものだったわけです。
そこで、私は同居家族が居る(二世代世帯)といっても、若者が一世代として存在する世帯と、後期高齢者の世帯で更に、その親を介護している世帯とを同列に扱うというのは、いかにも「きめ細かさの欠けた」お役所視点の対応ではないか?と指摘しました。(同様な問題は介護保険適用時の「同居家族」の解釈、認定にも存在します)


私は老々介護世帯の天災避難に対しては、次のような対処方法があるのではないか?と常々考えています。


1.スムーズに機能すると考えられる対応策が無い以上、無闇にじたばたせず、敢然と運命に従い、高齢化社会問題解消に多少とも寄与し得るであろうと観念し、社会やお国のために率先して身を捧げる。


2.対応をもう少し、きめ細かく柔軟に実行する。たとえば、常識として災害時に車での移動は避けるべきであろうが、その種の駆動力無しでは自力で避難できない人々に限って、緊急車輛(ステッカーなどで、はっきり区別し、消防車や救急車のような)扱いをする。勿論、無益な混乱を避けるために、事前の調査、運用実験など十分な準備をする。


3.更に、準備、検討を要するであろうが、老々介護世帯個々に避難努力を委ねるのではなく、コミュニティの駆動力をスムーズに機能させる方策(たとえば、専用の救助車輛などの運行)を検討する。


(念の為、付け加えると、この問題は「老々介護」世帯に限らず、年齢に関係なくハンディキャップを有する家族を抱えた世帯に共通する問題である。)


ところで、私が投げかけた問題点をNHK和歌山放送局が聞きつけ、取材を申し込んで来ました。大学卒業したてのような若い女性記者が本日挨拶に来て、特に「老々介護世帯」について、日本全国で以上のような問題があるので…、と明日(3/19)夕刻、カメラマン同道、インタビューに応じて欲しい、とのことでした。
ローカル放送局の短いインタビューでは、十分な思いも伝えられないでしょうが、どなたか、上記の私の考え以外のご提案があれば、明日午後4時頃までにお知らせ下さい。出来るだけ、伝えるように努力致します。

2011年3月9日水曜日

「TPP開国論」を糾す


「詩をきっかけとして考える会」でも過去に取り上げた経済評論家 内橋克人氏が下記のメッセージを発信しています。
予てより、民主党も自民党も一つ穴の狢だと考えて来ましたが、小生の持論、この国では『政治に関与しているのは、専ら人間として、最低レベルの人々である』が更に鮮明となっている、ことは取りも直さず、それを選択し、放置している我々のレベルが問われていることになりますが…(J)。


「TPP開国論」を糾す
    「開国」とは「国を開く」と書く。「鎖国」を解いて国を開けば、
生き生きとした政治・経済社会が蘇る、あの幕末・維新のときのように、と「TPP開国論」が突如、この国に燃え上がった。菅首相、日本経団連、東京発マスコミなどが合唱する。ほんとうか。
   現代日本は鎖国ではない。
高い関税障壁で国内産業を守る保護主義国ではない。全品目の関税率はアメリカより低い。生存権の基本、穀物さえ、愚かにも、すでに7割以上も明け渡している。飼料用穀物は全量、大豆96%、小麦86%・・・。過剰なまでにアメリカほか数カ国に「開国」した。残るはただコメのみである。先進国の中にそんな国はない。
   だから外交力に脆く国際社会での存在感も希薄となる。「鎖国」
のゆえに影が薄くなったわけではない。時代の閉塞感は別のところから来る。
    TPPに入れば、経済は活力を取り戻せるのか。
新たな輸出市場が待っているのか。そんなことはない。成長アジアというが、TPP加盟・同予定国の国内総生産はアメリカと日本で90%以上になる。むろんのこと、日本からの輸出増大の可能性は相手国の「内需」(国内市場)
の力による。成長著しいアジアとはいえ、
TPPに名を連ねる日米豪以外の国々の内需はいまだ全体のコンマ以下にとどまる。アメリカ、日本で96%。3位オーストラリアでさえ3.7%に過ぎない。日本経済を活性化するに足るほどの輸出市場など
(TPP加盟・予定国の) どこに待っているのか。
   過去、アメリカ除外のアジア圏構想はことごとく潰された。
1997年アジア通貨危機に際して唱えた宮沢構想 (「アジア通貨基金構想」)
にアメリカは激怒し、構想は霧の如くかき消された。
アメリカを加えない「ASEAN3」も「ASEAN6」もアメリカにとっては不快この上もない構想だ。アメリカにとって「アメリカ主導のアジア」を形成するには「TPP」のほかにない。
   菅首相は当初「第三の開国」と唱え、その後、もっぱら「
平成の開国」と叫ぶ。その「おかしさ」について新聞、ラジオ、講演など機会あるごとに指摘してきた。光り輝く「第一の開国」幻想のなかに菅氏は夢遊している、と。はからずも今回対談の冒頭で宇沢弘文氏は明解にえぐり出された。関税自主権を奪われ、治外法権を呑み、輸出入交易の役務・金融の全てを列強資本に独り占めされた、片務的、隷従的、不平等条約であった。近代日本の苦悶は以後、60数年も続いた。加えて菅氏のいう「第二の開国」が第二次大戦の敗戦時を指す、とは!
対談の冒頭、宇沢氏は絶句された。
   いま「開国」とは「国を開く」ことではない。「国を明け渡す」
に等しい。「城を明け渡す」とは「落城」である。
   各地でTPP反対の県民集会が続いている。
当メッセージを書いている私は、昨夜
(2011/3/5)、岩手・盛岡から帰宅したばかりだ。
生活協同組合から地場の中小事業者まで48団体、760人を超える市民が岩手教育会館大ホールを埋めた。「岩手県民会議」を立ち上げ、「TPP反対」を決議した。一日おいて明日は新潟に行く
(3/7)。同様の県民フォーラムが開かれる。東京、京都、
北海道その他、どの会場も「市民」(農業従事者だけではない-の意)で溢れる。会場に入りきらない。各種協同組合が連携して「TPP反対
1000万人署名運動」を進めている。
政権がTPP加盟の是非を決めるとする6月に向けて、さらに加速するだろう。「農業過保護」を言い立て、農業と他産業の利害を分断し、対立させる-目論みは崩れつつある。
   誰のものでもない、この社会に生きゆく人びと全てのもの。
すなわち宇沢経済学『社会的共通資本』の概念がいま攻撃にさらされている。本誌での対談に込められた危機感は対論者だけのものではない。この国に生きる人びと、生産者から消費者まで、すなわち生きる、働く、暮らす、すべての人びとが深く共有するところとなってきた。その現実を、私はどこへ行っても実感する。短期間に、急速に、激しく、そして厳しく・・・。
   2011年3月6日 記す
   内橋克人 (経済評論家) http://www.iwanami.co.jp/sekai/2011/04/081msg.html 

2011年3月6日日曜日

「詩をきっかけとして考える会」3月例会案内


Mさんは講師を務める大阪のカルチャーセンター出張にて、またNさんは病気療養中欠席の旨事前連絡があり、2月例会出席者はY、K、S、T(敬称略)およびJの5名であった。

3月例会では、会のテーマとして取り上げるに相応しい、世情を賑わせている問題ないしそれに関連する事柄に付き、議論を展開させるべく、コーディネータJの見解を専ら述べさせて頂いた。内容は概略以下の通り。

1.価値判断の基準が経済(お金の仕組み)に偏りすぎていないか?

日本のGDPは世界第2位の地位を中国に譲った(マスコミもヒステリックな報道を繰り返し、一般庶民もそれに乗せられて中国脅威論を声高に述べ立てる現状を見ていると、多分、軍部独走に至る大戦前夜の状況も、類似であったろう、と想像される。
そもそも物事(国の品格、民族固有の文化、技術、文明等)は経済的(お金)基準のみで計れるものではない。一例として、日本が中国より優位である時期があったにせよ(先ず、価値判断の基準如何にもよるが、仮に経済や軍備に限っていえば)中国数千年の歴史のうち、我が国明治維新から平成の極初めくらいの精々百年程度ではないか。日本では文字の無かった時代二、三世紀頃、既に中国の魏志倭人伝によって、ようやく統一国家の体を取りつつあった倭国についての記述のあったことは、文字を識った七世紀の日本書紀に記されている。無論、日本にも独自に形成され、受け継がれてきたユニークな文明が存在するが、中国文明なくして、今日の日本文明は存在しなかったといっても過言ではなかろう。今、記している漢字一つを取り上げても自明の理である。一億人が揃って「勝ったの、負けたの...」とヒステリー状態に陥ることこそ異常である。
ちょっと考えてみても、中国大陸から朝鮮半島を経て日本へ至るルートなくして、今日の日本の文明、文化、技術は存在しない。

2.米国スタンダードのグローバル化神話に惑わされていないか?

開国が進歩した考えで、鎖国は後ろ向き指向という無思慮な掛け声に洗脳され切っている。それも米国スタンダードの誤ったグローバル化という言葉に幻惑されている事実は、小泉-竹中路線の齎した惨憺たる荒野の現実を直視しない(あるいは出来ない)盲目状態と言える。
現代に鎖国が実現できる筈はなく、インターネットの発展による国境を越えた情報伝達が世界を変えている現実と、その効果は何人も否定し得ない。従って、江戸時代の全てを賛美するわけでもないが、この狭い国土で巧みに暮らして行く我々にとっては、大いに参考とすべきモデルが存在する。その中でも最たるものは、「己の身の丈にあった生き方」にある。経済偏重思考、効率化一辺倒思考により不毛となりつつある我が国の精神的風土の再生と活性化に大いに貢献しうるモデルではないか。

所詮、日本は日本である、卑下することは無いし、また米国や中国をうらやむ謂れもない上、一国の忠犬となって善悪、国益の別なく常に追随せねばならぬ理由も無い。沖縄の基地問題、TPP問題などもこの信念に基づいて検討すべきだ。

3.中央集権、首都一極化は行き詰まりつつあるのではないか?

世界的傾向とはいえ、経済が停滞し、格差が生まれ、貧困が目に余るようになってきた。今や国家も、あるいは市場経済も、その機能を、市民が望む形では果たせなくなって来ている。これからは第三の「市民社会」の出番である(ベンジャミン・R・バーバー)。NGO、NPO活動などがその具体例であろう。また、中央に集権して国家に市民の命運を託すやり方には、破綻が見え始めている。地方に力点を移し、地域を蘇らせてこそ今後の生きる道が見えて来る筈だ。
都会に比べ、地方には活用すべき場所が多くあり、また放置されたままになっている。効率や奢侈ばかり追うのではなく、自然に根ざした堅実な生き方の中で仕事を創出し、限界集落を解消すべく、高齢者の知恵と若者の労力をコラボレーションする方向を目指すべきだ。

大雑把に以上のごとくであるが、例会ではNHKの「無縁社会」を取り上げたドキュメンタリーも視聴した。この内容について、I氏より意見が寄せられていたので、それについて簡単に触れておこう。氏が指摘するように、番組自体としては内容も作り方も駄作である点は同感である。しかしながら、国の手先でしか無く、公共放送の役割も果たせないから、完全民営化すべきだ、という意見には俄に賛成し難い。何故なら、民放はスポンサーのCMにより経営されるものであり、換言すれば市場至上主義の手先だからである。場合によれば、国家以上に不適切な言論誘導を行う可能性が高いし、今でも疑わしいことは否定できない。
この観点からもジャーナリズムも第三の「市民社会」主体の方向へ進むべきだし、元もと真のジャーナリズムは、江戸から明治初年までの、権力から「手鎖」の罰を何度受けてもへこたれないマイナーな硬骨漢によって遂行されて来た仕事であり、メジャーな、ましてや利潤追求型市場経済主義に汚染された組織には到底馴染まぬものだ。

次の例会では、以上のような私見に対する参加者諸氏のご意見を伺い、実践可能な行動を見極めて行きたい(文責:H.J.)。

3月例会日時は下記の通り。

       場所: JR海南駅前「ヴァンサンカン」2階個室
        日時: 3月16日(水)午後1時30分より

               「ヴァンサンカン」TEL: 073-482-1899