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2011年12月9日金曜日

<一日一書>No.2(百七十一)「十二月八日 再び無謀な戦い」


『今日は木曜日。
天気は雨。』

さて、今日の話を始めよう。


  70年前の今日、私は小学校2年生で満8歳。朝からラジオは臨時ニュース、臨時ニュースと繰り返していた。

戦は聖戦であり、神国大日本帝国が負けることはない。また国が困難に陥れば、神風が吹き、必ず鬼畜米英に勝利する。八紘一宇の精神を以て現人神の御稜威を世界の果てまで届けるのだ、と教え込まれ、洗脳され、何ら疑いの念も持たなかった。

敗色濃厚となった昭和20年国民学校5年生12歳となった私は、それでも中学入学を控えて幼年学校か海軍兵学校を目指し、遠くない将来、お国のために喜んで命を捧げるのだ、自分の一生もそれまで、と心から信じ切っていた。

しかし、実際は負ける筈のない神国の、その上、現人神でもなかった天皇はラジオ放送で、分かり難く、聞き取り難い日本語で連合国に対し、無条件で降伏するという勅語を発したのである。

その時、既に米軍に占領されていた沖縄には米軍の基地が次々と設けられ、一方的に占拠され、奪われた島民の土地や住居は70年後の現在に至るまで、完全に返還されることなく、実質的にそのままの状態が継続されている。

占領地であるから、占領軍の関係者が、どんな大犯罪を起こしても、未だに、実質的な裁判管轄権は日本国沖縄県には無い。

現在の状況は、本当の意味で、日米間の占領状態が解除されたということにはなっていない。もし、そんなことは無いと言う人が居るなら、沖縄の現状は米国の「植民地」そのものということになり、それ以外に解釈の仕様はない。

70年前の無責任状態を放置し、検証も反省もしないまま、現在まで来てしまった、我が国の政治家や国家指導者は勿論、それを許容してきた我々日本人の全 ては、愚かな大戦争を浅慮にも開始した、当時の全ての無謀な日本国民を非難したり、批判する資格を既に喪失している、と考えられる。

その如実な現れが、今この国に発生した原子力発電所の大事故と、その対応、処理、解決に関する無能、不誠実、不適切、不当、無責任な振る舞いに集約され ていると言わざるを得ない。その上、将来に向かって根本的問題解決(たとえば、完璧な脱原発)を図ろうとする態勢が現実に始動していないのは、誠に残念で ある。慚愧に堪えない。

2011年12月3日土曜日

「詩をきっかけとして考える会」12月例会案内


 10月例会出席者は、H、N、S、A、TさんおよびJの6名。Mさんからは事前の欠席連絡。
 前日からの雨も上がり晴天となった。会場の加太民宿「大津屋」の前に横たわる青い海の前方には、友ヶ島をはっきり認めることが出来る。しかし、風が吹き、海上には白波が立っている。「折角の晴天だが、無理か?」という思いが頭をよぎる。
「大津屋」のオーナー船頭さんの出船判断は予想通りで、残念ながら、李梅渓のいわゆる巌額「五所石碑の図」を海上から鑑賞するという試みは今回は中止、機会をみて再度挑戦しよう、ということになった。


 会場を「大津屋」二階一室に移し、平岡氏持参の望遠鏡で、正面に横たわる島の岸壁を観察すると、文字の詳細までは確認出来ぬが、五所の文字の刻まれた輪郭部分を認めることが出来た。


 今回も、海南の郷土史家平岡繁一氏により友ヶ島五所額を中心に色々お話を伺う。李真栄が大阪方面から最初に連れてこられた和歌山の地が加太から遠からぬ松江であること、また梅渓七歳の時、父真栄と共に加太に遊んだ事跡と、遙か海上彼方の祖国に思いを馳せたであろう彼等の心情について語り合った。


 更に、エピソードとして朝鮮通信使のもてなしについて新井白石の倹約方針に対し将軍吉宗が、それに異を唱え、改めさせたという話はなかなか興味深かった。筆者などは倹約令の吉宗という印象が強いのだが、この話を聞くと吉宗が父や祖父たちの李真栄親子に対する処遇を肝に銘じていたのであろう、という推測も納得出来る。


 また、11月27日まで和歌山市博物館で特別展示されていた文人画家として知られる祇園南海が紀州藩(徳川光貞時代)に儒官として仕えた、という記録を識り、咄嗟に李梅渓との接点が展示品中に見いだせないか?と詳細に鑑賞したところ、出口のところで、最後に展示されていた木製扁額「龍」の反対面(表面)に李梅渓の「寿山」という字が書されているという事実を確認出来た。


 N氏からは、彼の母の生家「藤本家」に伝わっていた、李梅渓書の扁額の写真を記録した「熊野をめぐる文人たち」という冊子中の“紀州藩内の教訓”『父母状』作成者 李 梅渓”という一文が紹介された。


 本年は辛亥革命から100周年という。孫文が亡くなる前、最後に日本を訪れた際、政府は東京への立ち入りを拒み、止むを得ず孫文は神戸で「大亜細亜主義」をテーマに講演を行った。その最後部分がJより紹介された。


 曰く『貴方がた、日本民族は既に一面欧米の覇道の文化を取り入れると共に、他面亜細亜の王道文化の本質をも、持って居るのであります。今後日本が世界文化の前途に対し、西洋覇道の鷹犬となるか、或は東洋王道の干城となるのか、それは日本国民の詳密な考慮と慎重な採択にかかるものであります。』


 それから100年後、日本は孫文の喝破した通り、”詳密な考慮と慎重な採択”を本当に行ったか、否かすら甚だ怪しいものだが、今や将に覇権国家米国の鷹犬(ポチ)に成り下がっているのが、現実である。


 一方、2011年12月1日の朝日新聞「天声人語」には、沖縄の悲惨な歴史と現在に触れる、次のような記述がある。『(前略)▼1955年、沖縄を怒りで奮わせた「由美子ちゃん事件」の犠牲者は6歳だった。米兵に暴行された遺体は、海岸で雨に打たれ、手を固く握りしめていたという。他にも、基地の島で繰り返された性犯罪は数え切れない▼(中略)』、このコラムの最後は次のように結ばれている。『戦後、66年。押しつけておけば済む話では、もうない。』


 筆者は、このようなジャーナリストを含めた現在、大方の日本人が示す態度に怒りを禁じ得ない。このコラムにおいても、それは如実に示されている。つまり、その最後に続けて、「では、どうすればよいのか?」の問題提起と方向性に関する論点が全く提示されていないことだ。


 筆者の識る限り、日本国の沖縄県以外の都道府県で、積極的かつ実現可能な形で沖縄軍事基地を引き受けようと表明したところは皆無である。そうとなれば、次の論点は自明である。大方の日本人が認めようとしない覇権国家米国の軍事基地をこのまま放置し、自分(本土)は嫌だが、他人(沖縄)ならば押しつけて、己を誤魔化し続け、人間としての良心を放棄した状態で恬淡として些かも恥じることは無いのか?日本人(政治家から一庶民まで)の資質を根本的に問い糾してみたい。


 そこには、王道文化の片鱗すら見いだせないではないか。




 さて、次回12月例会は忘年会を兼ねて行う予定である。楽しい趣向を考えたい。今のところ、Tさんに小型ハープの持参をお願いしている。参加者のお得意の唄、詩の朗読、隠し芸などの準備、用意を期待している。


 また、来年度の企画、希望などもあれば、収集しておきたい。


 尚、忘年会では、昼食にSさん準備による魚の鍋が用意されるので、その実費を参加者全員の割り勘で負担する(2,000-2,500円/1人程度予定)。また、飲み物は別で事前に常任コーディネータが準備する(各自実費負担)。


 今回も準備の都合があるので、参加希望の事前申し込みを必要とする(但し、H、N、M、T、A、SさんおよびJは申し込み済みなので、キャンセルの場合のみ要連絡)。いずれの場合も12月17日(土)までに下記コーディネータまで。(文責:城 久道)




12月例会場所、集合日時は下記の通り。


   場所: Sさん宅 : 携帯:0X0-1XX7-X47X
    日時:12月20日(火)正午より


尚、自家用車で行かれる方は別だが、お酒を嗜む方は和歌山バス利用を推奨する。
集合場所:南海和歌山市駅 和歌山バス乗り場(11)、75系統 坂田行き11:18発に乗車。
下車停留場は「榎原西」、所要時間18分、料金320円(70歳元気パス利用100円)


M.T.  携帯:0X0-X68X-X13X
H.J. 携帯: 0X0-X65X-X04X