止むを得ない場合を除き、老人ホームに全面的に頼る必要は無くなる。
勿論、介護する側も高齢者の場合、在宅介護を補助して貰えるヘルパーの存在は無くてはならない。
具体例を挙げれば、99歳の母親を入浴させるには、70歳の半ばを超える私たち夫婦では腰を痛めたりする危険があり、若いヘルパーさんの助けなくしては困難である。
被介護者の意欲を高めながら在宅介護を続けるには、高齢の家族と派遣される若いヘルパーとのコラボレーションが相俟って初めて上手く行く。
従って、生き甲斐を持って被介護者が毎日を送るには、その生活環境が重要な意味を持つ。
私の母の居室には、簡単なキッチンを備え付けてあり、遠赤外線の機器を使用して簡単な煮炊きは可能であり、今でも朝、昼は母が自分の好みの簡単な食事を摂っている。夜の食事だけは家人が調理、提供している。
冷蔵庫や電子レンジも自室にあるので、母は自分の好みの飲食がいつでも可能である。
勿論、材料の買い出しは我々老介護者やヘルパーが行っている。
99歳の母の願いは、食事と排泄は可能な限り自分で処理したい、と言うものであり、今のところ食事は70%、排泄は100%希望通りに達成されている。
無論、それに対応しうるように、母専用となった1階のトイレには手すりを設けたりしてある。
寝た切り老人を減らすには、被介護者本人の意欲を高めることが最も重要である。その為には、それを実現しうる設備や環境が求められる。そしてそれには相応の負担が必要となるが、現実には同居する家族の負担となる。
自分を産み、育ててくれた父母のためなら、当初からその負担を免れようとする子供達が居るとは考え難い。しかし、経済的あるいは自身の高齢化により、特に我が国の現状下では、思い通りに行かなくなって来た人々も決して少なくない筈だ。
私自身が今、その深刻な問題に直面する破目となった。何が敬老か?何処が敬老なのか?の思いを強くせざるを得ない。(次回に続く)
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